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内容説明
本作品は、プロローグとエピローグとでもいうべき第1章と第24章を置き、そこに異国に移民として生きる語り手リューバの現在をとりこむ。この二つの章に縁取られ、第2~23章までは第二次大戦中ナチス・ドイツ占領下のセルビア、首都ベオグラードの下町ドゥシャノヴァッツを舞台に一九四二年あたりを基点として時の流れを順に追う。終戦、新ユーゴスラヴィアの成立、ユーゴスラヴィアがコミンフォルムから追放された一九四八年を経て、リューバが国外に出る決心をするまでの十年あまりが描かれている。
著者等紹介
ミハイロヴィッチ,ドラゴスラヴ[ミハイロヴィッチ,ドラゴスラヴ]
1930年セルビア南部のチュープリア生れ。ベオグラード大学ユーゴスラヴィア文学科卒。19歳の時思想犯として逮捕され強制収容所で8ヶ月「再教育」を受けたことが災して定職を得られず、様々な職場を転々としつつ作品を執筆。1967年に短篇集『フレッド、お休み』で「十月賞」を受賞。翌68年に発表した『南瓜の花が咲いたとき』で作家としての地位を確立した。その後専業作家となる
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
きゅー
5
あとがきに「小さな力=暴力、大きな力=政治、二つの力が氾濫蔓延し(中略)、家族は崩壊して行く。」とあるけれど、むしろ主人公のリューバが暴力を振るう側に立っている。理不尽な事が起こり家族が崩壊していくさまが描かれるが、お前のせいだろという思いがぬぐい去れないために今ひとつすわり心地が良くない。ストーリーは、二人の因縁の男が決闘をすると言えば良いだろうか。シンプルで、引き締まっている。しかし結末に至っても「大きな力=政治」については、いまひとつ漠然としており、背景のまま終わってしまったように感じられた。 2013/07/12
takao
3
ふむむ2024/03/05
トム
0
最高に胸糞が悪いというか、主人公が取るに足らない人間すぎることに伴うリアリティは胸に迫るものがある。その亡命の「大義」の無さは所謂「亡命文学」へのアンチテーゼとも取れてしまう。解説で書かれているような「家族の絆ァ!」「感動!」的メッセージを読み取るのは困難だった。結局人間は愚かで無力…暴力しかない…それもだめ…というニヒリズム的袋小路しか私は見出せなかった。2021/11/13