内容説明
歴史に埋もれたシベリア抑留の事実。『男たちの大和』の辺見じゅんが問う、未来を見続けることの、意味…。
著者等紹介
辺見じゅん[ヘンミジュン]
富山県生まれ。早稲田大学文学部卒業。編集者を経て、歌人・作家として活躍。『男たちの大和』(角川春樹事務所)で第3回新田次郎文学賞、『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』(文藝春秋)で第11回講談社ノンフィクション賞・第21回大宅壮一ノンフィクション賞、『夢、未だ盡きず―平木信二と吉岡隆徳』(文藝春秋)で第9回ミズノスポーツライター賞、歌集『闇の祝祭』(角川書店)で第12回現代短歌女流賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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Cinejazz
10
昭和31年12月24日の舞鶴港。シベリア抑留帰還兵を乗せた最後の輸送船には、必ず生きて帰還(ダモイ)するという強い信念で、強制収容所(ラーゲリ)の仲間たちを励まし希望の光を灯し続けた、島根県隠岐郡出身の山本幡男さん(1908-1954)の姿はなかった・・・。 『収容所から来た遺書』の著者が、山本さんに厚い信頼と尊敬の念を抱いた収容所仲間によって、帰還を果たせず病死した山本さんの家族宛ての遺書4500字を分担転記し、記憶にとどめ遺族の許へ届けた、魂の絆と戦争の悲劇を語り継いだ慟哭のノンフィクション。 2022/01/20
しわじい
2
戦争が終わったにもかかわらず11年間も零下30度以下の極寒のシベリアの地で死と隣り合わせで強制労働をさせられていた人たちがいた。広大なシベリアの各地に設けられた収容所(ラーゲリ)はおよそ1200か所もあり、70万人近い日本人が極寒の地で飢えと厳しい労働によって7万人余りが死んだという。これは事実だ。そんな中、山本幡男は日本人としての誇りを持ちつづけ、その思いを家族に対する遺書のなかで綴った。山本の言動に共鳴する人たちが、それらを暗記することよって家族に伝えることを可能にした。事実に基づく話らしい。2013/06/05
sp16x
2
シベリア抑留のことが知ることができた。戦争の体験はどんな時でも想像を超えるつらさがあると思うがその中で希望を持ち続けることができる人がいたということは真に立派な人だったんだと思う。周りの人の執念にも心を打たれた2013/11/08
でおでお
2
小説の形をとったせいか、時間が前後するせいか、話の流れがスムーズとは言いがたいが、山本氏の遺書を筆写でなく頭に暗記して遺族に届けた仲間たちのおそるべき執念には涙を禁じえない。改めてソ連の横暴、許せん。シベリア抑留と非人道的な強制労働の事実は如何なる理由をもってしても正当化できまい。2010/03/11
読書国の仮住まい
1
第二次大戦後シベリアに抑留された日本人。 ウラル山脈にスべルドロフスク市にあった収容所(ラーゲリ)。 課せられるノルマと過酷な環境は想像を絶する。 ソ連人が寒いと感じる温度は氷点下35度以下。 氷点下30度でも晴れていれば今日は暖かいという。 いつの日か故国に帰ること(ダモイ)を夢見る日々。 堪能なロシア語を話しソ連の通訳役であった山本幡男は、しかし帰国を果たせず病没。 山本の遺書は紙なので見つかれば没収される。 ダモイする捕虜はそれぞれ分担し記憶として持ち帰る『ツル作戦』を思い立つ。 これが実話とか…。2023/03/03