出版社内容情報
対話の哲学者ブーバー ――その生涯と思想の全貌がここに
第三部 大戦前のパレスチナと初期のイスラエル国家
第12章 父祖の地への帰還――大戦前のパレスチナ
第13章 第二次世界大戦
第14章 ユダヤとアラブの和解と対立
第15章 聖書のユダヤ教、ハシディズム、そして成人教育
第四部 大戦後のドイツとアメリカ――批評家たちへの回答
第16章 ドイツのキリスト教徒との対話
第17章 アメリカ人との対話
第18章 精神療法との出会いとパウラの死
第19章 批評家たちへの回答 ブーバー対ショーレム
第五部 ハマーショルド、ベングリオン、晩年の日々
第20章 ブーバーとハマーショルド――平和の契約
第21章 ブーバー対ベングリオン
第22章 名声には飽き飽きした
第23章 世界の果てで
訳者あとがき
「対話」の哲学者と称されるマルティン・ブーバーは、二十世紀における最も重要なユダヤ人思想家の一人である。ところが、彼は哲学者という概念に収まりきれないほど、多方面にわたる思索と活動をなし、本人も自分自身を「型にはまらない人間だ」と言っている(下二六七頁)。たとえば、シオニズム、ハシディズム(十八世紀以来のユダヤ教宗教復興運動)、聖書、教育、社会思想、精神分析、神話伝承文学、政治等に及んでいる。学問の世界においては、哲学、宗教学、聖書学、教育学、分析心理学、社会学に偉大な足跡を記し、数多くの著作を残した。とくにブーバーの『我と汝』は世界中の主要な言語に翻訳され、古典として扱われている。
そのような業績にもかかわらず、ユダヤ人でありながら彼の存在は、ユダヤ教、とりわけ正統派から異端視され、イスラエル国ではつねに少数派に属してきた。創設に尽くしたヘブライ大学では、のちに社会学部長まで務めたが、自分の得意とする聖書学では教授を許されなかった。歴史のパラドックスか、あるいはイザヤ書のいう「受難の僕しもべ」に似た運命のアイロニーかと思わせられるが、ブーバーは、ユダヤ的世界よりもむしろ西欧世界に深い影響を与えた人物として知られて今日に至っている。
では、彼はイスラエル民族のために貢献することが少なかったのか。否、とんでもない。ユダヤ民族再生のために、生涯を通じていかに彼の志向と行動の一切が捧げられてきたかは、彼の伝記を読めばよくわかることである。ナチス・ドイツの時代における、彼のユダヤ人教育による精神的抵抗は、意外と知られていないが、彼の民族愛と人間としての勇気と力を示すものである。
ブーバーの思想は、彼の生涯と出来事への「応答」として生まれ発展してきたといえる。そうであるからには、彼の一生を俯瞰する伝記を必要とする。とくに現実世界を大切にする彼の場合、具体的な人生を知らずに、哲学の思想としてのみ一般的に考察しても真の理解に達しないまま終わるにちがいない。その意味で、ブーバーの伝記の刊行は意義深いと思う。ブーバー研究は、まず、ブーバーの「人」を知ることから始めるべきである。
さて、本書は、ブーバーの最も近しい弟子、モーリス・フリードマンMaurice Friedmanによる評伝であるEncounter on the Narrow Ridge : A Life of Martin Buberの翻訳である。フリードマンは、米国においてブーバーの紹介者となり、その評伝、翻訳、解説を通して、多大の貢献を果たした哲学者である。日本語のタイトルは、わかりやすく『評伝マルティン・ブーバー』とした。原題がなぜ「狭い尾根での出会い」であるかは、著者の「序文」に詳しく書かれている。そこには、ブーバーの生き方を表すキーワードとして、二つの言葉があげられていて、まず最初に訳者の心に最も感銘深く残った。すなわち、「狭い尾根」と「聖なる不安定」である。
ブーバーの紹介はすでに著者がその「序文」で述べており、ブーバーについての解説は省略する。下手な解説は本書を損なうことになる。まず読んでいただきたい。
ここでは、訳者の読後感ないしは、まとまらない感想を少しく述べさせてもらおう。
読んでみて驚くことに、伝記ならば当たり前のことだろうが、著者は、決してブーバーを完全無欠の人とは描いていない。欠点や批判も赤裸々に書いている。そこから、真実の人間像が浮かび上がってくる。家族についても同様だ。妻のパウラの貢献、また短所も隠さない。彼らには二人の子どもがいたが、長男のことではずいぶん悩むことが多かったようであるが、ここに本当の人生が描かれていると言ってよい。
本書は、彼の生涯の率直な描写のみならず、彼の著作や講演についての、弟子フリードマンの見地からの解釈と説明が至るところにある。ブーバー学なるものがあるとすれば、この作品こそ最も適切な概論書であり、総括的な提示であり、ブーバーの「哲学的人間学」への本格的な入門書の役割を十分に果たすと確信する。
ブーバーの生涯において山場がいくつかある。しかしそれを単純化すれば、第一次世界大戦後に『我と汝』を書き上げるまでの歩みと、その後の「我と汝」の対話の哲学を実際の人生に活かしていく後半の歩みとに分けられるだろう。前半には政治的シオニズムの創始者ヘルツルと社会主義者ランダウアーがかかわっている。後半の始まりは、ユダヤ思想史の中で忘れられない出来事である、哲学者ローゼンツヴァイクとブーバーの出会い、そしてヘブライ聖書のドイツ語訳の事業だった。
本書では、二十世紀の様々の歴史的な人物との交友や人物評も描かれていて、大変興味深い。たとえば、ヘルマン・ヘッセ、シュヴァイツァー、アインシュタイン。同時代の哲学者や思想家への批評はハイデッガーからサルトル、ユング他に言及し、またイスラエルの政治家ベングリオンとの相克、国連事務総長ハマショールドとの温かい信頼関係なども書かれている。十九世紀の前衛的な実存思想家、キルケゴールやニーチェについての、ブーバーの観点からの評は、的確である。
本書の価値の一つは、ブーバーの「ユダヤ人とキリスト教徒の対話」の部分にある。ユダヤ世界、イスラエルでの冷遇とは対照的に、ブーバーの意義を高く評価したのが、キリスト教のプロテスタント神学者たちであった。このことも本書では具体的に紹介されている。アメリカの神学界を代表すると言われたパウル・ティリヒはその一人であり、ブーバーの影響を肯定的に受けとめている様子は、感銘深い。その二人の個人的な交友、最後となるであろう別れの場面など、心温まるものを感じさせてくれる。そのほか、各所にブーバーのいう「我と汝の対話」の実例が見られる。
さて、訳者の私的な思い出を語るのをお許し願いたい。
訳者(河合)がブーバーにふれたのは、一九六〇年代である。その頃の読書体験として、正直言って『我と汝』は難解すぎて読了しなかった。むしろ、ハシディズムの物語などを好んで読んだ記憶がある。いまもその当時の、『祈りと教え』(理想社刊)(これは、『ハシディズムの教えによる人間の道』ほかの訳本)の赤線入りの本を大事にもっている。
それ以来、ブーバーへの関心はもち続けたわけだが、聖書に親しみ、ユダヤ学になじみつつ、ブーバーのいうエムナーとしての信仰を生きようと願ってきた三十数年であった。この度、本書の翻訳を手がけるとは、天の摂理を覚えざるを得ない。因みに、本書の刊行を勧めてくれたのは、手島勲矢氏(大阪産業大学助教授。ヘブライ大学卒、ハーバード大学中近東言語学科博士)である。
訳者の感想として、日本人について言えば、欧米の人々と違って聖書的文化と異なる環境にあり、ユダヤ人とキリスト教の歴史に疎いために、ブーバーを彼の著作を介して思想の面からのみ知ろうとしても、抽象的知識だけに頼っては理解は困難である。(彼の著作は、かなり抽象化の度合いが高い)。今回、彼の伝記を通して、また、神への信仰というベースから、彼の言おうとするところに少し近づけたように思うのである。
ブーバーは信仰の人であった。「神」という言葉は、その意味が人間の歴史において複雑多岐に分かれ、汚されたものかもしれないが、それであればあるほど、「神」という言葉を避けないと言ったブーバー。神への信仰(あるいは信頼というべきか)を抜きにしては、彼の思想も哲学も人間学もあり得ない。もし本書の読者が、「永遠の汝」からの呼び声に耳傾けることへの誘いに、応えることがあるとしたら、きっとブーバーは間接にでも読者と対話できたことを喜ぶにちがいない。まず人が志すことから、真の対話は始まるのだから。
まさに戦争と動乱、思想の激変、伝統の崩壊で特徴づけられる二十世紀であった。人類の歴史において未曾有の世紀を体験した中から、二十一世紀に伝える価値のあるメッセージをだれが残したのだろうか。たしかにブーバーは偉大な教師であった。そして、偉大な人類の教師として、二十一世紀にもぜひ語ってもらいたいと願う。本書には、道なき道を歩むような我々日本人にトーラー(指針)となるものが、豊かな鉱脈として存在することを信じる。
原書は、著者の注や解説が一切抜きに綴られている。ブーバーの全体像をとらえるには、そのほうがよいと判断してのことだろう。本書もそれに倣ったが、日本の読者向けに人名や用語の説明は、最小限度本分中に挿入した。詳しくは他の書を参考に見ていただきたい。ユダヤ教関係一般は『やさしいユダヤ教Q&A』『ユダヤ教の考え方』(共にミルトス刊)をお薦めする。
最後に、著者フリードマンのこの労作に感謝の意を捧げたい。今回翻訳上難解なところは、著者と何度もメールをやり取りして、教えを請うた。フリードマンとの質疑応答は、ファーストネームで呼び合う、ブーバー流の対話で大変有益で愉しかった。〝モーリス〟の親切に心から御礼を申しあげる。貴重な写真もフリードマン教授に提供していただいた。写真の一部は、ミルトス・イスラエルのスタッフの協力で、大学図書館より借用した。本書の刊行上、株式会社バベルに大変お世話になった。翻訳は黒沼と河合で当たったが、最終的に校閲した責任は河合にある。
日本語版へ著者フリードマンより序文を寄稿していただいた。ブーバーとの関係を綴った部分、鈴木大拙、西谷啓治師のことなどは貴重である。著者の希望するように、日本の文化と思想とブーバーとの新たなる出会いが生起することを、共に望みながら。
内容説明
ブーバーは『我と汝』の哲学から、聖書、ユダヤ教、社会思想、教育、精神分析、イスラエルの建国思想シオニズムにおよぶ、思想界の巨人であった。20世紀の孤高の預言者ブーバー、イスラエルと全世界に、その声は響く。
目次
第3部 大戦前のパレスチナと初期のイスラエル国家(父祖の地への帰還―大戦前のパレスチナ;第二次世界大戦;ユダヤとアラブの和解と対立;聖書のユダヤ教、ハシディズム、そして成人教育)
第4部 大戦後のドイツとアメリカ―批評家たちへの回答(ドイツのキリスト教徒との対話;アメリカ人との対話;精神療法との出会いとパウラの死;批評家たちへの回答 ブーバー対ショーレム)
第5部 ハマーショルド、ベングリオン、晩年の日々(ブーバーとハマーショルド―平和の契約;ブーバー対ベングリオン;名声には飽き飽きした立;世界の果てで)
著者等紹介
フリードマン,モーリス[Friedman,Maurice]
1921年米国オクラホマ州、タルサ生まれ。現在、サンディエゴ州立大学名誉教授(宗教、哲学、比較文学専攻)。米国はじめイスラエル、インド、ドイツ、オーストリアで45年間、様々な大学、神学校、心理学研究所で教える。米国におけるブーバーの紹介者となる。著書多数
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