出版社内容情報
背教者か、真理の探求者か?
風に舞う木のように翻弄される賢者の行方は?
時は紀元2世紀、ローマ帝国支配下のユダヤにおいてラビとなった一人の青年エリシャ・ベン・アブヤ。 人生の不条理に、ユダヤ教を去ってギリシャ哲学に真理を求めたが彼が、激動する歴史の中で到達した結論とは何か。
著者の米国系ユダヤ人ラビが,ユダヤの経典タルムードから取材し、豊かな学識の元に構想した歴史小説。
プロローグ
第1部
第2部
エピローグ
作者註
訳者あとがき
訳者あとがき(抄)
この小説は、紀元二世紀ローマ帝国支配下のパレスチナとシリアを舞台に、あるラビ(ユダヤ教教師、政教一致の当時はユダヤ民族の生活全般にわたる指導者)の生涯を描いた大河歴史小説です。
著者のミルトン・スタインバーグ(1903~1950)は、ニューヨーク生まれのユダヤ系アメリカ人。コロンビア大学で哲学を学び、ユダヤ神学校(JTS)においてラビに叙階され、30歳でニューヨークのパーク・アヴェニュー・シナゴーグのラビに赴任して、46で生涯を終えるまで勤めました。
深い信仰と立派な人格の持ち主として知られ、学識者、頭脳明晰な研究者、ユダヤ思想家として、同時代のユダヤ民族を代表する人物の一人とされています。
また、ラビとして多くの人々を暖かく包み込み、癒してきたことも伝えられています。他方、宗教と同時に哲学や文学にも関心を寄せるスタインバーグは、優れた文筆家でもあり、数多くの著書や雑誌への寄稿を残しました。
彼の唯一のフィクションである本書は、ユダヤ民族史のいわゆるタルムード時代(紀元2~6世紀頃)を背景にした小説のうちで最上のものの一つだと評価されています。
1939年に書かれたものですが、今日読まれても新鮮な感動を与えてくれる古典的な作品です。
ユダヤ人はヨーロッパでは昔から偏見をもって見られ、迫害されてきましたが、本書ではその見方とは逆に、当時のユダヤ人が美しく描かれています。丁寧に描写されたユダヤ教の儀式や習慣は、日本人にとって馴染みの薄いユダヤ思想を理解する一助となるでしょう。
ローマ帝国の気風や日常生活も、映画さながらに鮮やかに描かれています。登場人物はかなり類型化されており、例えば、エリシャは現実を見ない理想家、アキバは理想を現実に調和させる賢人、パパスは心のおもむくままに行動する快楽主義者、となるでしょうか。
印象的なのは、主人公をめぐる三人の女性がいずれもはっきりと自我をもっている点です。ちなみに、1、2世紀頃のローマでは、女性の地位は比較的高く、現在の日本のように、子供を産みたがらない女性や結婚できない男性も多かったということです。
物語は、ユダヤ的価値観(信仰)とギリシャ的価値観(理性)の間で揺れ動くエリシャを軸に展開していきます(光と陰が、揺れ動くエリシャの心を巧みに表現しています)。
エリシャはギリシャ文化に心酔する父をもち、ユダヤ人でありながら、幼児期には理性万能主義のギリシャ的教育を受けます。しかし父の死を境に、熱心なユダヤ教徒の叔父から一転して神を絶対視するユダヤ的教育を受けることになります。
自我が確立する前に相反する二つの価値観を植えつけられたのが、彼の不幸の発端といえるでしょう。真面目で、才気溢れる彼は若くして将来を嘱望されるラビとなりますが、さまざまな不条理を経験するうちに、神の存在が信じられなくなります。
つまり、ユダヤ教による真理が信じられなくなったのです。彼は信仰に代わる確実な真理を求めます。そのとき彼の心に浮かんだのはギリシャの世界(つまりそれを受け継ぐローマ帝国)でした。理性によって、つまり哲学によって論理的に真理を導き出すことを人生の目的と定めて、彼はパレスチナを去ります。
第二部では、舞台はシリアのアンティオキアに移り、エリシャが哲学の探究を続ける過程で、次第にローマ帝国への傾倒を深めていき、ついには自らの民族を裏切り、破局に至るまでの経緯が、ユダヤの反乱という一大事件を絡めながら、描かれています。論理的に真理を導き出す試みは、大変な努力の末、完成まであと一歩というところまで行きますが、最後には無残な失敗に終わります。
ユダヤの反乱に際し、ローマを取るかユダヤを取るか決断を迫られた彼は、世界に平和をもたらし、人間の行動と思想の自由を擁護するローマに協力すべきだと考えました。
ところが理性的に正しい行動を取ったはずなのに、心の安らぎは得られません。すべてを失った彼が最後に得た結論は、絶対的な真理はありえない。真理の基となるのは何かしら前提を無条件に信じる心だということでした。
真摯に生きようとしているのに、方向を間違ったばかりに、不幸を招いてしまうエリシャ。
ユダヤ教のラビたる著者は、信仰と理性が相まって人は救われるのだと、エリシャの言葉を借りて訴えています。とはいえ、神を信じられなくなったエリシャはどうしたらよかったのでしょうか? これは永遠に解決できない問題かもしれません。
失意のうちに亡くなったエリシャですが、読み終えたあと、不思議に気高い美しい姿となって心に残ります。逆説的に、著者はユダヤ教の精神を称揚しているように思われます。
エリシャの友人であり、理解者であるラビ・アキバは、史実に基づき偉大な指導者として描かれていますが、彼は現在でも人々の尊敬を集め、その墓所には多くの人々が訪れているそうです。エリシャの高弟ラビ・メイールが、師への変わらぬ親愛を示し続けたことや、彼の妻ブルリヤが二人の子供を失ったことを伝えた場面などを含め、登場するラビ達についてのエピソードの多くが、タルムードの記述に基づいているようです。
原題は、As A Driven Leaf(風に舞う木の葉のように)で、これは旧約聖書のヨブ記13章25節の一句を引用したものです。ヨブの体験にも似た苦悩を神に訴える人物として、主人公エリシャの姿が著者に映ったのかも知れません。邦題としては、わかりやすさを考慮して『ラビ・エリシャの遍歴』としました。
この小説が書かれた1939年といえば、ヨーロッパではナチスによるユダヤ人弾圧が激しさを増していた動乱の時代です。著者はこの小説で慈愛と正義を尊ぶユダヤ教の世界を描くことによって、反ユダヤの理不尽さを訴えるとともに同胞を励ましたかったのでは、と私は想像します。
テーマが重く、哲学的論議や幾何学の議論が出てきて、少々取っつきにくいかも知れませんが、物語としては波瀾万丈で、とてもおもしろいので、気軽に読んでいただけたらと思います。
内容説明
時は紀元2世紀、ローマ帝国支配下のユダヤにおいてラビとなった一人の青年エリシャ・ベン・アブヤ。人生の不条理に、ユダヤ教を去ってギリシャ哲学に真理を求めた彼が、激動する歴史の中で到達した結論とは何か。著者の米国系ユダヤ人ラビが、ユダヤの経典タルムードから取材し、豊かな学識のもとに構想した歴史小説。
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