出版社内容情報
ユダヤ教はどんな宗教か? 簡潔にいえば、ユダヤ教は一つの宗教というより、ユダヤ人の生き方そのものです。ユダヤ人を本当に理解しようとしたら、「生き方としてのユダヤ教」を理解することが大切です。
本書ではユダヤ人の一生、宗教生活、祝祭日など、生活の中のユダヤ教をQ&A形式でやさしく解説。ユダヤ人の習慣や風習の起源と意味、また現在どのように守られているかも紹介しました。
●270項目のQ&Aでやさしくユダヤ人の生活を紹介する。
●豊富な写真や表が理解を助ける。
●「月刊みるとす」に連載していた「やさしいユダヤ教入門」に加筆してまとめた。索引も充実し、ユダヤ教小事典として利用できる。
第一部 ユダヤ人の一生
1章 ユダヤ人とは誰か
2章 誕生
3章 成人式
4章 結婚
5章 離婚
6章 死
第二部 安息日
7章 安息日の意味
8章 安息日の夕べ
9章 安息日の一日
第三部 1年の祭りと行事
10章 祭りと暦
11章 新年と贖罪日
12章 仮庵の祭
13章 ハヌカ
14章 トゥ・ビ・シャバット
15章 プリム
16章 過ぎ越しの祭り
17章 7週の祭り
18章 ティシャ・ベアブ
19章 ローシュ・ホーデッシュ
20章 イスラエル独立記念日
第四部
21章 聖なる書物
22章 シナゴーグ
23章 適正食品規定
24章 衣と住のおきて
25章 象徴
1章 ユダヤ人とは誰か
よく、ユダヤ人とは誰かと問われます。簡単な質問のようで、それほど単純ではありません。実際にいろいろの定義が挙げられたりします。現在、一番確かなのは、ユダヤ人の子供がユダヤ人ということです。
それでは、ユダヤ人とは血縁集団かというと、必ずしもそうでもありません。誰でもユダヤ教に改宗することによって、ユダヤ人の一員になる道があるからです。
ユダヤ人の国と言われるイスラエルでも、ユダヤ人の認知が時には社会問題になります。非ユダヤ人の婦人がユダヤ教に改宗した場合も、イスラエルではいわゆる正統派ユダヤ教(オーソドックス)以外はユダヤ教と認められていませんから、保守派ないしは改革派のラビが認めた改宗ユダヤ教徒は、ユダヤ人ではないわけです。最近、国外で改宗した改革派ユダヤ教徒がイスラエルの裁判所で、ユダヤ人と認められたというので、ビッグ・ニュースになったりました。
Q.ユダヤ人とは、同一の国籍をもった人々、あるいは、その子孫ですか。
A.日本人の場合、日本の国籍をもつ人のことで、「日本人とは誰か」はあまり議論の余地はありません。アメリカ人はアメリカの市民権を持った人のことですし、その他の多くの国民の場合もそうです。ところが、ユダヤ人と言われる人々は現在世界の隅々に住んでいますが、当然一つの国に属していたわけでありません。長い間、ドイツに住み、あるいは東欧に、またエジプトにと言って、世界のあちらこちらの国に属し暮らしています。ですから、国籍が同じ人々ではありません。
イスラエル国家が誕生してから、ユダヤ人なら誰でもイスラエル国に帰還すれば、その人にはイスラエルの市民権が与えられます。しかし、世界のすべてのユダヤ人が、イスラエル国民であるわけではありません。アメリカ人のまま、あるいはイギリス国籍のみのユダヤ人も多くいます。(イスラエル以外に住むユダヤ人は、ディアスポラのユダヤ人と呼ばれます)
また、二千年前のユダヤ国家の子孫というように、現実的に家系をさかのぼれるわけでもありません。また、それがユダヤ人の条件でもありません。ユダヤ教に正式に改宗すれば、その人はユダヤ人となることができるからです。
Q.ではユダヤ人とは、ユダヤ教徒のことですか。
A.この定義は、何世代も前ならば、あるいは適切だったかも知れません。しかし、現在ユダヤ人であってもユダヤ教を信奉しないと公言する人もいますし、無神論者だと平気で言う人もいます。
歴史的には、ユダヤ教がユダヤ人のアイデンティティー(自覚、意識)を保ってきたのは事実でしょう。それでも、真面目な学者の中にも、ユダヤ人を宗教的な集団だと定義するのに反対する意見を唱える人もいます。特に近代以後においてそうです。なぜなら、ユダヤ教を捨てた場合、つまりその戒律を守らない場合に、(いま多くのユダヤ人がそのとおり)ユダヤ人とは認めないとなると、大問題となります。
レンズ磨きの哲学者スピノザは、その独自な思想のために、ユダヤ教の権威から破門されました。しかし、彼がユダヤ人でなくなったとは言いません。十九世紀ヨーロッパの啓蒙的なユダヤ人で、キリスト教に改宗する人々が出ましたが、彼らもユダヤ人と見られていました。
Q.そうすると、ユダヤ人は人種的概念ですね。
A.そうとも言えません。
まず人種というのは、身体の形質的特徴によって地球上の人類を分類したそれぞれの集団のことですね。たとえば、コーカソイド(白人種)、モンゴロイド(黄色人種)、ネグロイド(黒色人種)などと大きく分類されます。
歴史的には、人類学者も、ユダヤ人がコーカソイドの地中海の一分派から生まれたという説を認めますが、それは何千年の前の話です。聖書によれば、メソポタミア文明の栄えた町から移住してパレスチナの地にやって来たのがユダヤ人の祖先です。特に誤解されやすいのが、「セム族」という言葉です。セム人種がいたように思われますが、セムというのは、最初言語学者が、ある特定の言語族を指すためにつくった用語でして、そのような人種があったのではありません。
ついでの話ですが、純粋な「アーリア人種」なるものも、架空の概念です。
ユダヤ人の祖先がパレスチナで国をつくり栄えた後、その子孫は世界中に離散しました。すでに二千年前に、当時のローマ帝国やバビロニアの主要な都市にはユダヤ人の共同体が見られるほどでした。その子孫は時を経るうちに混血を重ね、あるいは改宗者を加え、土地の気候風土の影響を受けてきました。現在、ユダヤ人と呼ばれる人々は、身体的にはそれぞれ居住する国の国民とあまり変わらない特徴を共有しているのが普通です。ポーランドのユダヤ人はポーランド人のように、エジプトのユダヤ人はエジプト人のように、アラブ諸国に住んだユダヤ人はアラブ人のように区別がつきません。
ですから、ユダヤ人を外観から身体的特徴から判断することはできませんし、一つの人種(race)と見なすことはできません。ユダヤ人とは、同一の遺伝的形質をもった人だとは言えないということです。ユダヤ人らしい容貌があるというのも俗説です。
Q.それではユダヤ人は、同一の言語・文化を有する集団ですか。
A.確かに、ユダヤ人は古代以来の歴史と伝統をずっと一貫して守ってきたという意識をもっています。しかしこの定義も、古代においては当てはまったかも知れませんが、現在では不十分です。
ユダヤ人は世界中に離散してきましたので、それぞれ住む国によって母国語も違いますし、文化も異なりますし、様々の風俗伝統を受け継いできたのです。この辺の事情は、何十カ国から移民して出来たユダヤ人の新しい国イスラエルに、特殊な社会問題が生じている一方、豊かなエスニック文化も花咲いている結果から、察せられるでしょう。
ユダヤ人に共通するのは、根底にある聖書文化とヘブライ語の伝統でしょう。それらすらバラエティに富んでいます。言葉についていえば、古代以来、ヘブライ語は宗教用語として生き延びました。ところが、ユダヤ教がかつてのような伝統的拘束力を失った現代においては、たとえばアメリカのユダヤ人はヘブライ語を理解しない人が大半です。
Q.それでは、ユダヤ人とは誰、といったらよいのですか。…………(続く)
7章 安息日の意味
ユダヤ人の歴史を通じて、安息日(シャバット)はユダヤ人の生活の中心でした。七日を一週とする時の周期の最後の日(土曜日)、それは休息の日として知られています。しかし単なる休みの日に留まらず、ユダヤ教のもっとも大事な聖なる日なのです。日本人に分かりやすくたとえると、一週に一度「お正月」を迎えるようなことです。
安息日がなければユダヤ教も存続せず、ユダヤ人の歴史も消滅していたことでしょう。ユダヤの格言に、「安息日がイスラエルを守った」とあります。一方、ユダヤ人は安息日を守るのに命懸けでした。現在も宗教的でない家庭でも、この日には家族で共に集い、共に食事をし、共に語らい、時には歌ったりして、ユダヤ人固有の伝統が伝えられています。親しい友人や知人を家庭に招待するのも、シャバットの過ごし方の楽しみとなっています。
Q.安息日をユダヤ人が守るのは、なぜですか。
A.安息日は、旧約聖書にその起源が記述されています。
まず、創世記二・一~三を見ると、「こうして天と地と、その万物は完成された。神は第七日にその仕事(メラハー)を完成された。すなわち、そのすべての仕事を終わって第七日に休まれた。神はその第七日を祝福して、これを聖別された」とあります。
モーセの十戒の中には、安息日は第四番目に出てきます。
「安息日を覚えて、これを聖とせよ。六日のあいだ働いてあなたのすべての仕事をせよ。七日目はあなたの神、主の安息であるから、何の仕事をもしてはならない。あなたもあなたの息子、娘、しもべ、はしため、家畜、またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである」(出エジプト二〇・八~一〇)
この十戒は、申命記五章にも繰り返して載っていますし、出エジプト記三一・一三~一七にも、再び書かれています。聖書を開いてお読みください。
安息日は、神が天地を創造したことを確認し、その神がユダヤ人の歴史を救ったこと、イスラエルが神の民であることを記憶する記念日なのです。いわば、神と人との交わりの日です。
Q.安息日は何もしない日ではなく、むしろ喜びの日だとも言われますが。
A.休息というヘブライ語はメヌハーですが、単に「休息」では本来の意味が十分に伝わりません。もっと含蓄のある言葉です。作家のハーマン・ウォークはこう述べています。
「清教徒の安息日と、ユダヤ教の安息日の大きな違いは……圧倒的な違いである。われわれの安息日は、光とブドウ酒をめぐる祝福から始まる。光とブドウ酒はその日(安息日)への鍵である。われわれの儀式には厳かさがあるが、中心となる効果は開放、平和、楽しさ、高揚した精神である」
安息日は、何もしない日ではなくて、逆に特別のあることをする日なのです。つまり、長い伝統の中から定められた一定の儀式(祈りや歌、聖書の勉強など)を行ないながら、日頃出来ない精神的、霊的な活動をするために、取っておかれた一日とも言えます。
この日だけは、日頃の労働の苦労を忘れて、神の前に家族や友人と過ごすのですから、まさにその精神的価値を知る人には、喜びの日です。
仕事を中止することは、人が仕事の奴隷にならないことを意味する、と言ったユダヤ人がいました。確かに、安息日に強制的にも仕事を休むことは、かえってユダヤ人の創造性と活力を養う力になったのではないか、と思われます。
Q.安息日はどのくらい重要ですか。
A.安息日は、ユダヤ人の暦の中でもっとも聖なる日だと考えられています。
それは、いろいろの祝祭日がありますが、十戒に書かれているのは安息日だけだからです。また、安息日違反にはもっとも厳しい罰則が書かれているからです。ヨム・キプール(贖罪日)は、それを守らない者は民の中から追放されるだけですが、安息日に働いた者は「必ず殺されるであろう」と規定されています(出エジプト記三一・一五、三五・二)。
Q.それでは、安息日に禁止されている仕事とは何ですか。
A.敬虔なユダヤ人は、旅行はもちろん、車に乗らず、料理は作らず、電気器具は使用せず(またはスイッチをさわらず)、金は使わず、ペンも持たず、この一日を他の週日と区別します。
さて、安息日に禁じられた仕事のことをメラハーと言いますが、その仕事(メラハー)が何かについて、聖書の中には、具体的にはわずかな例しか挙げられていません。耕すことと刈り入れ、あるいは火を焚くことなどです。
タルムードは、三九種類の仕事を禁止されたものとして挙げています。それは、荒野での幕屋(聖所)の建設に関係のある作業です。出エジプト記三五章の安息の規定の後に、幕屋建設が書かれているので、その作業が禁じられた仕事だとラビたちは解釈したわけです。それから、さらに禁じられた仕事が拡大解釈されて、増えていきました。
新約聖書の中で、イエス・キリストとその弟子たちが、安息日に禁じられたことをしたと非難されていますが、当時、安息日のおきてについてまだ未確定の部分が残っていて議論の余地があったようです。それでももちろん、安息日を守ることは宗教上最重要事であったことが、そのように福音書に反映しているわけです。
Q.安息日は、なぜ金曜日の夕方、日没から始まるのですか。
A.正式なユダヤ暦では、一日は前日の日没から始まり当日の日没で終わります。特に、安息日の場合、時間の計算間違いを犯さないために用心をして、少し早目に安息日の行事(ろうそくを点すことなど)を始めます。
Q.安息日に、電気を利用しないのはなぜですか。
A.安息日には火の使用が禁止されていますが、電気は火の一種と拡大解釈をする人たちがいるのです。厳密な解釈では、ラジオもテレビも電気製品も使用できません。
Q.スポーツなどの娯楽はどうなんですか。
A.一般的にスポーツや踊りは禁じられるといいますが、ある人たちは、安息日に喜びを添えるものだから野球や水泳などスポーツは許されると解釈します。ただし、控え目にという制限付きではありますが。…………(続く)
内容説明
ユダヤ教の理論や思想の面でなく、生き方の基本ルールを紹介し、ユダヤ人の一生、祝祭日の1年のサイクル、日常のしきたりを紹介。
目次
第1部 ユダヤ人の一生(ユダヤ人とは誰か;誕生;成人式 ほか)
第2部 安息日(安息日の意味;安息日の夕べ;安息日の一日)
第3部 一年の祭りと行事(暦と祭り;新年と贖罪日(ヨム・キプール)
仮庵の祭り(スコット) ほか)
第4部 生活の中のユダヤ教(聖なる書物;シナゴーグ;適正食品規定(コーシェル) ほか)
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