出版社内容情報
1960年に発売された初代セドリックは、海外メーカーとの技術提携の終了にともない、日産技術陣の総力を結集して開発された中型乗用車である。登場以来、日産自動車を代表する高級車として、2014年の生産終了まで54年間にわたり、法人のみならず個人用として、さまざまな場所で活躍してきた。本書は、セドリックの半世紀以上の歴史について、230型以降は双子車となったグロリアとともに、その変遷を貴重なカラーカタログなどを用いて紹介する。日産自動車が創立90周年を迎えたのを機に、内容の再確認を実施するとともに、代表的なモデルを掲載したカバーデザインに一新して刊行。
内容説明
海外メーカーとの技術提携を経て、日産自動車の独自開発によって誕生したニッサンセドリックは、230型以降に双子車となったグロリアとともに進化を遂げ、20世紀の日産自動車の成長を象徴する高級車となった。また、国産量産車初のターボ加給エンジンやV型6気筒エンジンを日本で初搭載するなど「技術の日産」を牽引し、その礎となったのである。
目次
セドリック/グロリアの歴史(日産自動車のルーツ;戦前・戦中のニッサン乗用車;戦後のニッサン乗用車;ニッサンセドリック(グロリア)の誕生と変遷)
カタログでたどるセドリック/グロリアたち(第1世代(1960年4月~1965年10月)
第2世代(1965年10月~1971年2月)
第3世代(1971年2月~1975年6月)
第4世代(1975年6月~1979年6月)
第5世代(1979年6月~1983年6月) ほか)
著者等紹介
当摩節夫[トウマセツオ]
1937年、東京に生まれる。1956年に富士精密工業入社、開発実験業務にかかわる。1967年、合併した日産自動車の実験部に移籍、1970年にATテストでデトロイト~西海岸を車で1往復約1万キロ走破。往路はシカゴ~サンタモニカまで、当時は現役であった「ルート66」3800kmを走破。1972年に日産自動車、海外サービス部に移り、海外代理店のマネージメント指導、KD車両のチューニングなどにかかわる。1986年~1997年の間、カルソニックの海外事業部に移籍、豪亜地域の海外拠点展開にかかわる。1986年~1989年の間シンガポール駐在。現在はRJC(日本自動車研究者ジャーナリスト会議)および、米国SAH(The Society of Automotive Historians,Inc.)のメンバー。1954年から世界の自動車カタログの収集を始め現在に至る(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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