内容説明
当時の技術部では、フロントエンジン・フロントドライブの技術開発が困難だと考えていたのであった。そして、それは富士重工のみならず多くの自動車技術者が悩み続けていた現実であった。技術部長の百瀬晋六は、一貫してフロントエンジン・フロントドライブを自分の意見として堅持した。議論になっても、論争になっても、百瀬はいつも冷静になって議論に耳を傾けた。そして、こう言い続け、動じることがなかった。「フロントエンジン・フロントドライブが駄目というわけではないんだな。欠点をなくせばいいんだな」スバルを生んだ技術者の面目躍如であった。…独創の技術。
目次
スバル前史
自動車試作開始
P―1
P―10計画
軽自動車開発
三六〇ccエンジンの開発
一九五六年、伊勢崎
試作車走行試験
スバル360誕生
スバル・サンバー
FF開発
63‐A開発計画
水冷水平対向四気筒エンジンの開発
スバル1000の誕生
FFから4WDへ