出版社内容情報
鶴見和子は赤坂憲雄に何を語り遺したのか――最晩年の対話
その生涯を賭けて「内発的発展論」を追究した社会学者・鶴見和子(1918-2006)が、鶴見に背中を押され「東北学」へ踏み出した赤坂憲雄との対話のなかで、死の3か月前に語り遺したこととは何か。東日本大震災を経て、地域社会の解体と、自然と人間との関係の苛烈な再編成に直面しているわれわれが、いま一度、地域に立脚した未来像を描く方途を探る。
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序論「3.11以後の鶴見和子論のために」赤坂憲雄(書下ろし)
〈幕間1〉「凜として群れぬ生き姿――鶴見和子さんを悼む」赤坂憲雄(『朝日聞』2006年8月8日)
第?T部 内発的発展論と東北学
「〈対談〉内発的発展論と東北学」鶴見和子+赤坂憲雄(最終対談、2006年4月29日)
〈幕間2〉「柳田民俗学のかくし味」鶴見和子(田中正明編『柳田國男の絵葉書』)
「東北芸術工科大学東北文化研究センター」赤坂憲雄(別冊『環』図書館・アーカイブズとは何か)
第?U部 柳田国男から東北学へ
「柳田国男・民族学・東北」鶴見和子+赤坂憲雄(山形アスペンセミナー)
「柳田国男から内発的発展論へ」赤坂憲雄(『鶴見和子曼荼羅 土の巻』解説)
「地球志向の比較学」鶴見和子+赤坂憲雄(『東北学』創刊号)
あとがき 赤坂憲雄
【著者紹介】
●赤坂憲雄(あかさか・のりお) 1953年生。学習院大学文学部教授。福島県立博物館館長。遠野文化研究センター所長。1999年、責任編集による『東北学』を創刊。著書『東北学/忘れられた東北』(講談社学術文庫)『岡本太郎の見た日本』(岩波書店)『震災考』『歴史と記憶』(共著)『鎮魂と再生』(編著、以上藤原書店)等。
内容説明
生涯をかけて「内発的発展論」を追究した社会学者・鶴見和子(1918‐2006)が、鶴見に背中を押され「東北学」へ踏み出した赤坂憲雄との対話のなかで、死の3か月前に語り遺したこととは何か。東日本大震災を経て、地域社会の解体と、自然と人間との関係の苛烈な再編成に直面しているわれわれが、いま一度、地域に立脚した未来像を描く方途を探る。
目次
序論 三・一一以後の鶴見和子論のために
第1部 対談 内発的発展論と東北学(なぜ、東北へ赴いたのか;「漂泊と定住」の枠組の解体;「東北」はひとつではない;地域から国境を越える)
第2部 柳田国男から東北学へ(柳田・民俗学・東北;柳田国男から内発的発展論へ―『鶴見和子曼荼羅4 土の巻』解説)
著者等紹介
赤坂憲雄[アカサカノリオ]
1953年生。学習院大学文学部教授。福島県立博物館館長。遠野文化研究センター所長。1999年、責任編集による『東北学』を創刊
鶴見和子[ツルミカズコ]
1918年東京に生まれる。39年津田英学塾卒業、41年ヴァッサー大学哲学修士号取得。65年ブリティッシュ・コロンビア大学助教授、66年プリンストン大学社会学博士号(Ph.D.)取得、69年上智大学外国語学部教授、同大学国際関係研究所所員(~89年。82~84年同所長)を経て、上智大学名誉教授。専攻、比較社会学。95年南方熊楠賞受賞。99年度朝日賞受賞。幼少より佐佐木信綱門下で短歌を学び、花柳徳太郎のもとで踊りを習う(20歳で花柳徳和子を名取り)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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