内容説明
P・ノラ『記憶の場』等に発する「歴史/記憶」論争に対し、「記憶」の語り手/聞き手の奇跡的な関係性とその継承を担保する“場”に注目し、単なる国民史の補完とは対極にある「記憶」の独自なあり方を提示する野心作。民俗学、人類学、疫学という異分野の三者が一堂に会した画期的対話。
目次
1 いかにして歴史に記憶をもちこむか(アメリカでの人類学研究スタートと、その後の歩み;海外での疫学活動を経て帰国;東北学への船出 ほか)
2 記憶の継承と語り口(時間をバラバラにする試み;オーラル・ヒストリーの二つの挑戦;沖縄の集団自決と記憶の語り継ぎ ほか)
3 鼎談を終えて(記憶という問題系;歴史人類学と記憶;「聞き書き」、「語り口」、そして「“真実”を伝承する」、ということ)
著者等紹介
赤坂憲雄[アカサカノリオ]
1953年東京生。1978年東京大学文学部卒。東北芸術工科大学教授、同東北文化研究センター所長、福島県立博物館館長。1999年、責任編集による『東北学』(現『季刊東北学』)を創刊し、現在に至る
玉野井麻利子[タマノイマリコ]
大阪府生。カリフォルニア大学ロスアンジェルス校人類学部准教授。文化人類学。東京大学大学院国際関係論博士課程中退。1982年ノースウェスタン大学より人類学博士号取得
三砂ちづる[ミサゴチズル]
1958年山口県生。津田塾大学教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ダージリン
1
対談者3人のバックグラウンドが違いすぎたせいか、重要なテーマは提示されたものの、議論が深まるところまでは至らなかった気がする。とは言え、今後歴史がどのように記憶されていくのかについては、大いに考えさせられた。本書で議論されていた訳ではないが、ムラの終焉が断絶を産み出す一方、ネット社会の進展はあらゆる階層の声を浮かび上がらせてくる。これも今後の歴史のつくられ方に大きく影響していくのではなかろうか。2013/07/14
natsumi
1
話がとびとびで読みにくかった。読み物として向き合い始めたらもっと楽しく読めたと思う。はまり始めてからは一気に引き込まれた。記録を作るのはどんなときとか、記憶の共有の仕方の違い(地域の違い、時代の違い)は、目新しいとは思わない。でも真剣に向き合うなら、とても興味深いテーマ。普遍化しすぎるとなんにでも当てはまるから、個別のテーマに絞って。やっぱり「中国は忘れない。日本は禊の文化だから忘れる」っていうのは暴論がすぎると読んで思い返す。記憶の形式が異なることを、記憶しないなんて決めないで。違うことを認めてよ。2011/03/10
飛燕
0
本書で指摘されている問題、すなわち「聴き手」の不在と、その受け皿としての学問の可能性という問題系は、今後焦眉の課題となってくるはず。みなが「語り手」になってしまってはしょうもない2013/05/30
ゆうき
0
記憶は今という時間から過去を場所と共に思い出す。そして今は5年前の今とこの瞬間の今と違う今から過去を認識することによって過去は自分との関係の中で重層化されていく。そしてあらゆる過去と歴史の認識は想起する現在と地域と人々によって多様化されていく。常に歴史と過去は今からの認識によって更新されていく。2012/08/05
y
0
記憶については科学的な観点から考えていたけれど、[事実]と異なる記憶にも様々な種類というか、パターンがあるのだなと思いました。 まだ自分のなかできちんとこなれていないけれど、記憶とそれを表出する方法、そしてそれを後世に残すことについて、慎重に考えないといけないなと思いました。2018/07/11