内容説明
第一級の儒者であった中村敬宇が幕末から明治初期においてキリスト教を受洗しながら、晩年は仏教書に親しみ儒教に立ち戻っていったという心の軌跡を明らかにし、日本人がキリスト者として生きていく困難な道を探る。
目次
第1章 中村敬宇のキリスト教への接近(中村敬宇のイギリス留学前後の思想的展開;『敬天愛人説』の書き下しの試み;敬天愛人の構想と由来と特質;『請質所聞』の書き下しの試み;『請質所聞』の中の神学とその特色;キリスト教への接近―洗礼に至るまで;『天道遡原』と中村敬宇;『天道遡原』の主要用語と中村敬宇の用語の比較)
第2章 中村敬宇のキリスト教からの離反(中村敬宇とR・W・エマソン;中村敬宇の合理主義;『敬宇日乗』に現れた敬宇の宗教観)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
うえ
8
「徂徠は、敬天をすべての人間の行為が基づくべき第一原理としている…敬天を本として実践的行動を律する広義の道徳法は、徂徠では作為または営為の道といわれる人為的行動原則である。この人為的原則の基本が仁である。それは天下を安んずるあるいは「民を安んずる」先王の道にほかならない…徂徠の愛人は、敬天に基づいた安民、安天下であり、上からの恩寵的愛民思想であった…徳川時代の敬天思想は、愛人、愛民、安民思想を含めながら、しかも敬天愛人という顕在化された形の統一にまで成熟していなかった。これを実現したのが中村敬宇である」2018/05/21