内容説明
恋する者は、液化するまえに、愛のなかでねばつく。「生地」と「ねばつくもの」をめぐり、“フローベール的存在”の様態を鮮やかに描き出す。20世紀文芸批評を一変させた主題論的批評、核心の書。
目次
1(フローベールの小説のなかで人はたらふく;そこでフローベール的な貪欲が;じっさい、恋する者は、液化するまえに、愛のなかでねばつく。 ほか)
2(肉体の務めを果たしなさい!;熱狂的な探索が向かうのは彼岸である。;ところがサドにおいては ほか)
3(失敗した。この作品にどんな修正を加えても;ところが、物と物が密着してできた壁には;フローベールは、自己の外に ほか)
著者等紹介
リシャール,ジャン=ピエール[リシャール,ジャンピエール] [Richard,Jean‐Pierre]
1922年、マルセイユ生まれ。作家、批評家。エコール。ノルマルに学び、アグレガシオン(高等教授資格)を取得。パリ第四大学ソルボンヌ校教授等を務めた
芳川泰久[ヨシカワヤスヒサ]
1951年、埼玉県生まれ。早稲田大学文学学術院教授(専攻、フランス文学、文芸評論)
山崎敦[ヤマザキアツシ]
1975年、東京都生まれ。中京大学国際教養学部准教授(専攻、十九世紀フランス文学)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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しゅん
15
テマティズムを広げた首謀者であり蓮實重彦の元ネタという印象で本に臨んだが、蓮實のような強烈なアジテート作用ではなくてうねり流れるような批評。全てを食べてつめこんでいくフローベール像を、小説と書簡のテクストから導いていく。『感情教育』のフレデリックとマリー(アルヌー夫人)が空虚さに忠実であるがために人生に反抗している、という指摘が印象に残る。訳者ふたりの解説によって、リシャールの位置(サルトル・バシュラール・バルトとの関係)が見えてくる。テマティズムは主題を反復する故に粘り気を帯びてしまう、はなるほど。2023/02/09
hitotoseno
5
伝説上、フローベールは『ボヴァリー夫人』に関連した裁判で「ボヴァリー夫人は私だ」といったとされる。では、彼はなぜそこまでエンマの体と同一化することが出来たのだろうか。それは、そもそもフローベール自身がありとあらゆるものを食いつくさなければ済まない大食漢であることに由来する。それもただ単に食い物にだけ目がくらんでいたのではない。彼にとっては認識そのものが食事であった。2020/11/16
nranjen
3
フロベール自身のあり方に突き刺さるような分析のあり方がすごいと感じた。といっても諸処の事情からあまりちゃんと読んでいない。中核となる一説をメモっておく。「書くこととはこの認識作業にほかならない。書くこと、それはこの深みにもぐりこみ、そこで泥を交わし、ひとつの殻にして完璧なフォルムになるようにする。あらゆる空間と時間に広く拡散し、ゆっくりと堆積して凝固したいっさいのものを、書くことによって、一点に、一瞬に凝固する。だから書くことは生命の自然な流れを反転させるようなものだ。」2019/03/31