内容説明
音楽は“作品”ではない、“実践”なのだ。“音楽”から“音楽する”へ―。既成概念を根底から転倒させ、わたしたちを“音の現場”へといざなう画期的な評論、待望の全訳。
目次
聴くための場所
コンサートとは現代的な出来事である
見知らぬ者同士が出来事を共有する
切り離された世界
うやうやしいお辞儀
死んだ作曲家たちを呼び起こす
総譜とパート譜
ハーモニー、天国のようなハーモニー
劇場のわざ
関係を表現する音楽のドラマ
秩序のヴィジョン
コンサート・ホールではいったい何が起こっているのか?
孤独なフルート吹き
著者等紹介
スモール,クリストファー[スモール,クリストファー][Small,Christopher]
1927年、ニュージーランドに生まれる。ニュージーランドやイギリスの大学で作曲を学ぶ。ロンドンのカレッジで教師をする傍ら、作曲や執筆に携った。現在はスペインに在住
野澤豊一[ノザワトヨイチ]
1978年、富山県に生まれる。金沢大学人間社会環境研究科博士後期課程修了。博士(社会環境科学)。現在、金沢大学国際文化資源学研究センター客員研究員。専攻、文化人類学
西島千尋[ニシジマチヒロ]
1981年、富山県に生まれる。金沢大学人間社会環境研究科博士後期課程修了。博士(学術)。現在、金沢大学人間社会環境研究科客員研究員。専攻、音楽教育学/音楽文化研究(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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新学術間接経費本棚
感想・レビュー
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しゅん
4
とても面白かったと同時に、西洋クラシック音楽が仮想敵として強すぎて普遍化しにくい話だなと思った。スモールが呪いのように感じていたクラシックの儀礼性を相対化して受け止める物語として考えるとグッとくるものがある。原書が90年代後半と今とでは音楽環境が相当違うから(インターネットとかストリーミングとかYouTubeとか、さらにはコロナ以後のライブカルチャーとか)、応用して考える必要があるだろう。「行為」と「作品」の綱引きの場として、自分は音楽を捉えている節がある。2021/07/28
ありさと
1
原書は98年。最初は気が合うかと思ったらそうでもなかった。音楽は行為であり関係であるとすることで西洋クラシック音楽に関する教養主義的・排他的なあり方を批判する、のは良いけれど、ちょっと卑屈じゃないかね。この200年に培われた文化やそれに基づいて作曲が行われてきた背景までを単純に無視するのはどうかと。民族音楽の都合の良いところだけ切りとって引き合いに出すのもなあと。ああ90年代。2015/04/14
鳩羽
1
とあるシンフォニーコンサートに参加する過程をたどりながら、そこでは一体何が起こっているのか? ということを探っていく。音楽は行為であるというサブタイトル通り、音楽はパフォーマンスが最も重要なことで、音楽史や譜面至上主義のような抽象化されたものが実際に「音楽する」ことの上位に置かれることを批判する。さらに、音楽は言葉とは違う多義的な「身振り」による伝達を可能とするもので、関係性を学ぶ儀礼としての意味合いを重視する。大体納得できるが、ミュージッキングの範囲が広すぎることが、音楽・芸術の信仰を薄めている気もする2013/03/23
t-poyo
0
面白かった。全体的に同意。本文では批判されているが、ステージや指揮者を神格化したり「正しい表現」を追求する気持ちは全然わかる(そういう"推し"かただってある)ので好きな人は好きにやれば良いとも思う。自由派の楽曲分析を勉強していて、男性的モチーフと女性的モチーフというのが意味不明だとおもっていたが交響曲由来と知れてよかった。音楽分析そのものの歴史も見ると面白そうなので関連しそうな本をポチっておいた。2025/02/20
stray sheep
0
分析系にしては割とすんなり内容が頭に入ってきたけど…2025/01/04