ミハイル・バフチン全著作〈第1巻〉行為の哲学によせて・美的活動における作者と主人公他

ミハイル・バフチン全著作〈第1巻〉行為の哲学によせて・美的活動における作者と主人公他

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  • サイズ A5判/ページ数 527p/高さ 22cm
  • 商品コード 9784891763299
  • NDC分類 988
  • Cコード C0310

内容説明

認識と行為と美的活動の全体を基礎づける第一哲学の問題を論じて、バフチンの美学、文芸学、言語哲学の根底にある考え方をあきらかにした本邦初訳の草稿「行為の哲学によせて」を含む、初期論文を収録。1919年の小論文「芸術と責任」、バフチンの哲学全体のプログラムともいうべき1920年代初めの草稿「行為の哲学によせて」、美的なできごとの参加者としての作者と主人公の関係を一般美学のレベルで原理的に考察した草稿「美的活動における作者と主人公」、1924年の「言語芸術作品における内容、素材、形式の問題」を収録。バフチン後年の著作がすべてここに予告されている。

目次

芸術と責任
行為の哲学によせて
美的活動における作者と主人公
言語芸術作品における内容、素材、形式の問題

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

zumi

1
「主人公の時間的全体」のみ。ざっくり言うと、まず自分の内的生は、とりあえず他者のものになり、そこから他者を巻き込むことで、自分のものにすると同時に、自分の意味的系列において、それは行為となる。注意すべきは、それが為されるには、完結した時間系列においてではなく、時間系列の外部にいる必要があるということ。それで徐々に凝縮されていい具合になったところで、理想化された主人公が立ち現れてくる、というのが、まあ要約ですな。(自分でも何言ってるかわかんないし、多分間違ってる)結局、人間は一人では生きてないってことよ。2013/11/26

roughfractus02

0
「私」という設定では他者とは出会わない。そう考える時「私」と言語は別という前提がある。著者が「行為」と「美的活動」を自らの出発点としたのは、「私」に還元される言語も世界もないという確信だ。「私」はまず行為として他者と出会い、この感性的出来事の継続つまり美的活動によって多種多様な出会いの総体である世界を創出する。「私」が先行した言語学批判をする著者の感性/美学からの言語規定は、主体の哲学への批判に留まらない。「私」と言語を別と考える対話的世界の強調は、彼が属した管理を徹底化する政治体制への批判を示唆する。2017/02/14

0
「主人公の時間的全体」の精読のみ。用語の意味にバフチン独特のものがあり、それに慣れるのに多少時間はかかるが、作者と主人公の関係、ひいては「わたし」と他者の関係について凄まじい量の有益な情報が詰め込まれている。大学出るまでには全部精読したい。2012/11/25

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