内容説明
松岡修造、伊達公子からフェデラー、シャラポワまで。「テニスクラシック・ブレーク」の人気連載コラムで振り返る世界と日本のテニスシーン。
目次
世界のテニス・日本のテニス・そしてテニスクラシックの歴史(1998年1月号・近くて遠いグランドスラム;2000年2月号・私的ラケット進化論 ほか)
日本選手編(1994年10月号・時間と空間を操る四次元テニス―伊達公子;1995年4月号・血と環境、経験と努力で培った、沢松奈生子の全盛期がやがてくる―沢松奈生子 ほか)
海外選手編(1994年11月号・ボクサーの目とスピードが、世界一のレシーブにつながる―アンドレ・アガシ;1995年1月号・テニスを愛し、楽しむ気持ちが、明るい根性の源となる―アランチャ・サンチェス・ビカリオ ほか)
1994~2006年主要大会優勝者リスト
デビスカップ・フェドカップ編(1996年7月号・有明でスペインをやっつけて日本は世界一になる!;1996年8月号・テニス色の光を導くレディースたち ほか)
著者等紹介
宮城黎子[ミヤギレイコ]
日本女子テニス連盟会長。東京都出身。文化学院美術部卒。1956年~63年全日本選手権シングルス8連覇をはじめ、ダブルス、混合ダブルスと合わせて全日本では30個のタイトルを獲得。四大大会は、64年の全米と全豪に出場の経験を持つ。弟の宮城淳は55年の全米ダブルスに優勝(パートナーは加茂公成)というテニスファミリー。80年代には、松岡修造、井上悦子など日本のトップジュニアチームを率いて世界のテニスを体験しながら育成にあたる。その後も、83年全日本優勝の雉子牟田明子の海外ツアーにコーチとして帯同するなど、常に世界と日本のテニスシーンの最前線を見続けてきた。64年フェデレーションカップ日本代表。78~82年フェデレーションカップ日本チーム監督(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。