内容説明
本書では、不変の一枚岩的な文化、超越的で「客観的な」観察者といった考え方が、もはや時代遅れで有効ではないということを暴露することによって、社会科学は、多様性、ナラティヴ、感情、主体性という避けられない問題をきちんと認識し、喜んで世に知らせるべきだと迫っている。つまり、学問の世界の内外において、人種、民族、年齢、ジェンダー、性的志向の異なる多様な人々を擁護しなければならないという、その根拠をパワフルに提示しているのである。
目次
序 首狩り族の苦脳と怒り
第1部 批判(古典的規範の崩壊;客観主義以降;帝国主義的ノスタルジア)
第2部 新たな方向づけ(文化を発動する;イロンゴット族の即興的な行動;語りという分析)
第3部 再生(変わりゆくチカーノの語り;社会分析における主体性;境界線を超える)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
★★★★★
4
著者は、「首狩り」で知られるイロンゴット族の間で調査をおこなったチカーノの人類学者。これも民族誌的権威を様々な方向から批判する論考です。ユニークなのは、調査者の客観的な視点を前提とする従来の方法論をただ解体するのではなく、そこに主体としての多様性や感情を持ち込むことで、それを「ずらす」という考え方でしょうか。彼の単著で訳が出ているのはこれだけのようで、本人の民族誌を日本語で読めないのが残念です。2010/02/23
chuchu*
3
とてもおもしろかった。内容はもちろん、ロサルドの誠実で真摯で冷静で優しさにあふれる分析と語り口に、私は何だか泣きそうになってしまった。首狩り族として知られるイロンゴットの調査を主に行い、そこで妻を亡くしたことで彼らのことをより理解できるようになったというエピソードは有名だが、それだけではなく、これまでの人類学の弱点を暴きながらも、ただ否定するのではなく、乗り越えるための道しるべを明確に示してくれており、とても励まされた。良書。2015/02/19
ひつまぶし
2
身近な人の死を経験することで異文化理解の扉が開かれるという話は面白いし、興味深いのだが、そこを方法論的に掘り下げた本というわけではなかった。社会学者が方法論を語ると執拗に細かい類型の目録を作るのに対し、人類学者は一つのアイデアを切り口に、ネタを盛り込みすぎな上にディテールの細かいエッセイを書く。一つのアイデアを切り口に長々とエッセイを書くという意味ではデヴィッド・グレーバーもまさしく人類学者だった。博識を縦横無尽に組み合わせて語るのが人類学者のアートなのだろうか。結局、方法は実践の中に宿るということか。2021/08/31