内容説明
戦時下、少年は父から英語を学び、仙台の青春は馬術に明け暮れた。アメリカは青年を眼科医として鍛え、その成果は旧知の仙台で実を結んだ。しかし、激務の末に待ち受けていたのは重度の難病であった。声を失い、仰臥の生活のなか、眼科医は驚くべき意志をもって新たな挑戦をした。そして今、日米医療の回想と難病へのメッセージが私たちに届けられる。
目次
私の医師修業時代(医学生の頃;最初のインターン―豊橋市・朝岡眼科医院の頃 ほか)
再びアメリカへ(アラバマ大学からの招聘;アラバマ大学助教授となって ほか)
日本での医院開業(開業にいたるまで;「春樹眼科」と「共同病室」 ほか)
馬の修業(東北大学乗馬部の頃;西ドイツの乗馬学校時代 ほか)
追憶の中で(記憶に残る症例;経営 ほか)
著者等紹介
渡辺春樹[ワタナベハルキ]
1934.5.9山形県山辺町生まれ。1959.3東北大学医学部卒業。1959.4~国立豊橋病院にてインターン及び豊橋市朝岡眼科医院勤務。1960.4~埼玉県ジョンソン基地第6022米国空軍病院勤務、インターン。1960.9医師国家試験合格。1961.4~東北大学医学部眼科入局。1962.5~米国イリノイ州シカゴ市クックカウンティ病院勤務、インターン。1963.3米国ECFMG外国人医師資格試験合格。1963.7~米国ヴァーモント州立大学医学部神経科勤務、レジデント。1964.7~米国アラバマ州立大学医学部眼科勤務、レジデント。1967.10東北大学医学部眼科帰局。1969.1東北大学長町分院眼科科長、講師。1969.8米国アラバマ州立大学医学部眼科助教授。1971.2医学博士。1972.10米国眼科学会専門医試験合格。1972.11米国アラバマ州立大学医学部眼科准教授兼神経科助教授。1973.6米国ヴァージニア州医師試験合格。1975.3米国アラバマ州医師試験合格。1976.1帰国。1976.4米国全国共通FLEX及びケンタッキー州医師試験合格。1976.7仙台市にて渡辺春樹眼科医院開設。1977.4~94.3東北大学医学部眼科非常勤講師。1983.4~91.3山形大学医学部眼科非常勤講師。1985.7~90.6日本眼科学会専門医制度生涯教育委員。1989.4日本眼科学会専門医認定。1989.7医療法人社団平成会設立、理事長就任。1998.4筋萎縮性側索硬化症(ALS)発病。1998.12平成会理事長辞任
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