内容説明
無実の罪(百人斬り)で雨花台の露と消えた一将校が、戦陣にありながら日々克明に綴り続けた野田ノート。ビルマ独立運動を進めた南機関時代、征きて還らぬ特攻機を連日見送った下館時代、復員する敗戦将兵の実相など、あの時代を活写する詳細な記録は、正しく第一級史料の名に相応しい。
目次
ノート1 自・昭和十六年二月十五日 至・昭和十六年十月十八日
ノート2 自・昭和十六年十月十九日 至・昭和十七年四月二十日
ノート3 自・昭和十七年四月二十一日 至・昭和十七年十月二十日
ノート4 自・昭和十七年十月二十二日 至・昭和十八年四月二十四日
ノート5 自・昭和十八年四月二十五日 至・昭和十八年十月十九日
ノート6 自・昭和十九年十二月四日 至・昭和二十年八月十七日
ノート7 自・昭和二十年八月十七日 至・昭和二十年九月五日
著者等紹介
野田毅[ノダツヨシ]
大正2年、鹿児島県生れ。鹿児島県立第一中学卒業。昭和8年、陸軍士官学校予科(第13期)入校。同10年、陸軍士官学校本科(第49期)入校。同12年、本科卒業後は京都第16師団歩兵第9聯隊第3大隊副官歩兵少尉として支那で勤務。同年7月の盧溝橋事件勃発後は南京攻略戦にも参加。同13年、下志津飛行学校に入校(偵察学生)、第1直協飛行隊附として広東攻略作戦に従事。同14年、朝鮮会寧へ。同15年、歩兵第133聯隊第3大隊第3機関銃中隊長。同16年、参謀本部附南機関(在タイ・ビルマ)に配属、陸軍大尉。12月ビルマ独立義勇軍参謀長に就任。同17年、南機関の改編に伴い第15軍司令部附(ビルマ国防軍顧問)。同18年8月、ビルマ独立。同月第3909歩兵師団の歩兵大隊長として満州に赴任、同年に従六位勲四等瑞宝章功五級叙勲。その後、陸軍航空総監部(浜松)勤務を経て、同20年1月より第16飛行団司令部部員(航空少佐)として下館飛行場に勤務。下館にて終戦の報に接し直ちに熊本へ飛ぶ。9月復員。同22年10月、いわゆる“百人斬り”を理由に南京戦犯拘留所に送致、同年12月に南京戦犯裁判軍事法廷にて銃殺刑の判決、翌23年1月28日、南京(雨花台)にて刑死。享年33(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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駄目男