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山田学の方法と達成 完結によせて
最近地名ブームと言われる中で、このほど山田秀三著作集『アイヌ語地名の研究』(全4巻、草風館)が完結した。そして山田先生は3年前に設立された川崎市の地名研究所(谷川健一所長)から「第2回地名研究賞」を受賞された。
全くのディレッタントの立場から学問をなさっている、真の意味で優れた学者の山田先生の業績の紹介をかねて、受賞の際、林英夫選考委員長が読み上げた「選考理由」の一部をここに紹介する。
「(前略)氏の研究は、アイヌ語地名のもつ一つ一つの意味を現地で調査して類型を作り、構造と実体にまで迫って厳正に体系化を試みたものである。これらアイヌ語地名の体系的研究のみならず、その分布や系統から、東北地方の地名との関連性を検討し、アイヌ語地名と推測される地名が東北地方に多くみられることを指摘している。この場合、ただ指摘にとどまらず、その残存分布の意味を歴史的文献の上からも実証して地名のもつ意味を多様に捉えている。さらに、アイヌ語の中に残っている日本の古語の存在を指摘したりするなど、アイヌ語地名分布の系統的な研究にとどまらず、広くアイヌ語地名研究を通して、そこにほのみえる日本古代文化のよると、その蛇行の始まりの所に渡し場、その上にソー(滝)があると書いてある。問題はこのソーという地名である。ソーは普通(滝)と訳されている。もし記録通りの場所に滝があれば事は簡単だが、その辺には滝などありはしない。しかし先生は川底の方をじっと見ながら「あの少し露出している岩盤がソーじゃないかしら」とおっしゃる。私はその時、(滝)と(川底の岩盤)とがどうしてソーという同じ語形で結びつくのか、どうしても分からなかった。 ↓続く
(1983.8.29『地名と風土』村崎恭子)
第一部 北海道の川を尋ねて――北海道の川の名
一 石狩・空知・上川南部
二 留萌・宗谷の一部・上川の一部
三 宗 谷
四 網 走
五 釧路・根室
六 十 勝
七 日高・胆振・上川の一部
八 渡島・檜山
九 後 志
十 潮 沼
第二部 北海道の峠を尋ねて――ルべシべ物語
一 アイヌ語の内陸交通路地名
二 雨竜川筋のルベシべ
三 鵡川の累標
四 倶知安・余市間の二つの稲穂峠
↑から続く
でも、翌朝そこに再び行ってみたら、ちょうど引き潮で水が少なくなって一帯に川底の岩盤がところどころ露出し、岩間をサラサラ音を立てて水が流れ、白波をつくっているではないか。この光景を見てはじめて、私はソーの真の意味を体得できたと思った。つまり、ソーというのは瀑布である必要はなく、底が岩で水が音と白波を立てて流れる急流でもいいのである。先生はこの様を見て「これが正にソーですよ」と満足げにおっしゃった。これでようやくソーという地名が一つ確認できたわけである。
古い地図や記録で一つのアイヌ語地名を得る。そのアイヌ語の意味を推測する。これだけで多くの人は地名解を出してしまう。これではアイヌ語のごろ合せのようなもので、アイヌ語の音韻や音節構造は日本語に似ているから、アイヌ語を少しかじった人なら安易にできてしまう。山田地名学では、これはまだ序の口で、可能な限りの古資料で見当をつけておいて、現地に何度も赴いて地形を見、土地の古老の話を聞き、他の類型と照らし合わせて最後に結論を出すのである。
常呂の、滝のないソーの場合も、先生は層雲峡(そううんきょう)の元になったソー・ウン・ペッ(滝の川)にも、雨竜(うり
目次
第1部 北海道の川を尋ねて―北海道の川の名(石狩・空知・上川南部;留萌・宗谷の一部・上川の一部;宗谷;網走 ほか)
第2部 北海道の峠を尋ねて―ルベシベ物語(アイヌ語の内陸交通路地名;雨竜川筋のルベシベ;鵡川の累標;倶知安・余市間の二つの稲穂峠)