内容説明
差別とわかちがたくむすびついたコトバを「透明で平等な媒体」にすることは、いかにして可能なのか!コトバは「透明で平等な媒体」でなどない。政治的であり、権力/差別とわかちがたく結びついている。しかし、「透明で平等な媒体」にはなりえないといった虚無主義にとどまるのではなく、むしろ「透明で平等な媒体」を徹底的にめざす実践的理論運動が必要とされるのである。
目次
序章 言語差別現象論―「言語学の倫理と社会言語学の精神」の確立のために
第1章 同化装置としての「国語」―近代琉球文化圏の標準語浸透における準拠集団変動・知識人・教育システム
第2章 クレオール化装置としての国民教育―「市民的素養」と地域/少数派文化の変質
第3章 国語の発明、方言の発明、国史の発明
第4章 「沖縄方言論争」というアリーナのゆくえ
第5章 求心力の中核としての民族語―言語復活をめざす沖縄人とアイヌ民族を中心に
第6章 かな、そしてナショナリズム
第7章 戦後日本の言語問題点描
第8章 ことばと権力をめぐって
第9章 文化資本における「英米語」
第10章 社会学の死角としてのことば―ことばの政治社会学序説
著者等紹介
ましこひでのり[マシコヒデノリ]
1960年茨城県生まれ。東京大学大学院教育学研究科博士課程修了。博士(教育学)。日本学術振興会特別研究員などをへて、現在、中京大学国際教養学部教授(社会学)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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