内容説明
「そんなはずはない、だがしかし…」というつぶやき。そこには呪術をめぐる「実感の共同性」が立ち現れる。合理/非合理、内在/超越という二重のアポリアを超え出る、呪術への実体論的アプローチによって、呪術と近代、“我々”と“彼ら”をめぐる、あらたな可能性をさぐる。
目次
序論(理論的問題―呪術のリアリティと他者性;フィールドとフィールドワーク)
第1部 「恐れる」―妖術師アスワン(アスワンを探して;近代メディアにおけるアスワン ほか)
第2部 「救われる」―カリスマ刷新運動Divine Mercy(マジョリティとしての一般カトリック信徒;非カトリック信徒によるカトリック批判 ほか)
第3部 「治る」―呪医メディコ(メディコとは?;メディコの諸活動 ほか)
結論(総括と考察―呪術のアイロニー)
著者等紹介
東賢太朗[アズマケンタロウ]
名古屋大学大学院文学研究科准教授。博士(文学)。1976年生まれ。名古屋市出身。上智大学外国語学部卒業、名古屋大学大学院国際開発研究科博士前期課程修了、名古屋大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。日本学術振興会特別研究員PD、宮崎公立大学専任講師を経て、2010年より現職。専門は文化人類学、フィリピン社会における文化的諸事象に関する調査研究を継続的に行っている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
れなち
6
フィリピンのロハスという街における呪術や信仰のあり方を考察した本。呪術なんてあるはずがない、でも恐い…の「でも」の部分がリアリティを生み出す。客観的な観察者であるはずの人類学者が、呪術や信仰をめぐる状況に巻き込まれて、当事者にもなってしまう最初の導入エピソードがおもしろくて、ディープなフィリピン滞在記として楽しめた。呪術や宗教を信じる「彼ら」と、信じない「私たち」がいて、みんな違ってみんないい、私たちも彼らに学ぶところがある…なんて無難な相対主義の態度は、そろそろ古くなってきたみたい?2021/05/14
☆☆☆☆☆☆☆
1
最初のエピソードは抜群に魅力的、最初と最後の理論的考察も鋭さを感じる。だけど、途中の大部分を占める民族誌記述と分析が凡庸に思えた。よく言えば堅実なんだけれども、個人的には最後まで突き抜けてほしかった。2014/08/28