出版社内容情報
いじめられても、いじめても、ただ見ているだけも嫌だ。私にもできる何かを見つけたい。
特集
2-こどもVSおとなワイワイガヤガヤ
いじめ、見てみぬふりでいいの?
----遅すぎるのかもしれない----
絵/猫柳あけみ 文/山田 真
4-李さんの場合
談/李 喜奉
6-高橋さんの場合
談/岩永愛子
8-まず二つのいじめを語ってもらった理由
文/山田 真
12-なぜ学校で起きるのか
談/浜田寿美男
16-なぜ「いじめ」から死へ
談/柿本昭人 談/高 史明
23-わが子の死といじめ
文/秋葉治男
27-「いじめ」に気づいた私のしたこと
談/小寺やす子
30-学校から親子ともに避難する
文/山下英三郎
32-こどもが勇気と自信を失いかけていたら
文/小島希里
34-いじめられたことのない先生へ
文/今津 隆
36-いじめのあるクラスを受けもったら
文/岡崎 勝
38-「いじめ」が見えないとき
文/大畑憲一
41-いじめ指導にゆきづまったとき
文/佐々木賢
44-この深さ重さをまとめるなんて
文/石川憲彦
49-ひとりぼっち、学校でも家でも
文/野津あゆみ
連載
56-子育てライブ57、なぜだッ
文/里見 宏
78-ドド子の部屋
小四で不登校、いま、一六歳。須永君
遅すぎるのかもしれない
「いじめ」という言葉を「日本語大辞典」(講談社)でひいてみると「自分より弱い立場にあるものに対して、心理的・肉体的攻撃をくり返し、相手に深刻な苦しみを与える行動。とくに教育現場でのそれをいう」と書かれています。終わりにつけ加えられた「とくに教育現場でのそれをいう」という説明が悲しいではありませんか。
「いじめ」といえば「学校」と発想されるそんな状況がつくられてしまったのです。
評論家であるいいだももさんが次のように書いたのは1984年のことでした。
「より弱い者へ、弱い者へと、いじめのつけをまわしてゆく、いいかえるならば、いじめられっ子がいじめっ子にはてしなく転化してゆく、被害者―加害者のメカニズム連環とでもいったいわゆるいじめ社会の到来です」
いいださんがこのときこのように書いたのは、学校でのいじめに関連してではありません。いいださんは、横浜で「簡易宿泊所からさえもあぶれた野宿者を襲い、殴ったり蹴ったりしたあげくに、ゴミかごにむりやりつめこんで振り回しなぶり殺した少年たち」について語ったのです。
この少年たちに見られる攻撃がやがて仲間のこどもたちに向かっていくこ