内容説明
戦時色が深まるにつれ、『少女の友』は軍や政府から軟弱として忌避され、特に中原氏の絵が問題となり、昭和一五年同氏の絵は「自発的に」『少女の友』から消えた。内山主筆はそれを読者と編集者の間の通信欄、「友ちゃんクラブ」で静かに告げた(昭和一五年七月号)表面は中原氏の意志といいながら、政府の圧力であることを言外に伝え「―父を兄を、夫を子を、失ふことさへも、国の為に忍ばなければならない時です。今は僕たちの一つの喜びを国家に捧げませう―」と述べた。今日では別に特異な文ではないであろう。しかし、当時、名誉の戦死と讃えられた「死」を、愛するものを「失ふ」といい、又「光栄」というところを「忍ぶ」と表現した内山主筆の姿勢は、ある勇気を必要とした。
目次
友ちゃんくらぶと友ちゃん会
中原淳一氏のこと
「乙女の港」のこと
「花日記」「美しい旅」など
松本かつぢ氏―抒情画家としての
松本かつぢ氏―抒情漫画家としての
フラワーゲームのことなど
「チビ君物語」
由利聖子氏のこと
吉屋信子氏のこと〔ほか〕
著者等紹介
遠藤寛子[エンドウヒロコ]
1931年(昭和6年)三重県生まれ。三重大学を経て法政大学史学科卒業。教職についた後、創作、評論活動に専念。作品に『深い雪のなかで』(北川千代賞)、『算法少女』(サンケイ児童出版文化賞)などがある。日本児童文学会、日本英学史学会会員
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ゆみねこ
71
伊吹さんの「彼方の友へ」の有賀主筆のモデルとなった内山基氏。戦時中、国からの良妻賢母教育を押し付けられた他の少女雑誌とは一線を画した「少女の友」。当時の世相と出版界の事情も分かりやすかったです。私の母は田舎に暮らし女学校には行かせてもらえなかったので、この雑誌は知らなかっただろうなぁ。2018/02/20
風眠
56
世の中や人々の価値観は、時代によって変わるものであるから、現代に生きる私たちの基準で、いいとか悪いとか単純には言えない。けれど私は、芸術文化の土壌が日本に育たなかったのは、軍人が世の中を動かしていた時代があったからだと思っている。軍人が幅を利かせていた時代、芸術を「軟弱だ!」と禁止し排除したこともあり、歴史の中で日本の芸術文化が途切れてしまった(だから留学するんです、今でも)。そんな時代に、信念をもち、願いを込め、美しさとは何かを『少女の友』を通して伝え続けた内山基主筆の勇気。その姿は、心から美しい。2018/04/09
ぶんこ
45
明治の時代に創刊された少女雑誌が、高い志を持った主筆(編集長)によって、良妻賢母、黙って夫と子に従う女性をypしとした時代に、自らの言葉で意思を伝えられる女性たちを育てていました。単なる出版社、編集者というだけではなぅ、読書とも「少女の友」という投稿欄を通して交流していまぢた。この交流の親密で節度のあったこと、投稿者の言葉の美しさに古き良き時代を思いました。また軍事色が強くなり、圧力のかかる中で、出版を続けてこられたものと、その勇気に感嘆しました。2018/02/13
天の川
28
『彼方の友へ』を読まれた読み友さんのご感想から辿り着きました。戦時色が強くなった当時、『少女の友』の編集長を務めておられた内山さんが、当局の干渉が強まる中、いかにして少女の自立を促し、高い見識を持って雑誌作りをしておられたのかが非常によくわかる本でした。小学生の時、学校の図書室でポプラ社のホームズ・ルパン・乱歩の全集を読み漁った時、その隣にひっそりと少女小説全集もありました。古めかしく、上品なその本達に収まっていたお話についても触れられていて、知らぬ間に『少女の友』に接していたのだとちょっと感無量でした。2018/01/25
anne@灯れ松明の火
28
『彼方の友へ』を読み、モデルが気になった。隣市で、創刊100周年号を探していたら、近くにあり、「編集者の勇気」という副題に惹かれた。「内山主筆の『少女の友』は単に抒情的ではない。背骨の通った少女誌なのだった」に感銘。『少女の友』復刻版実現のための活動をしていたが「きびしい出版界の事情で、復刻は今日のところ実現していない」と結んで、2004年1月に出版。しかし09年3月に『少女の友』創刊100周年記念号が出、それに触発された伊吹有喜さんが『彼方の友へ』を2017年に書くのだ! 皆さん、大喜びだろう!2018/01/04