内容説明
ある「少女」が語るこの物語は、読者の展開予想を微妙に、しかしことごとく、そして快く裏切ってゆく―。数多のラテンアメリカ作家が崇拝してやまないセサル・アイラの代表作、待望の邦訳。
著者等紹介
アイラ,セサル[アイラ,セサル][Aira,C´esar]
1949‐。アルゼンチンの町コロネル・プリングレスに生まれる。のち首都ブエノスアイレスに移り、現在も同地に在住。1975年に小説『モレイラ』を刊行したのを皮切りに、次々と作品を発表、現在までに小説やエッセイを60冊以上刊行している
柳原孝敦[ヤナギハラタカアツ]
1963年生まれ。東京外国語大学大学院地域文化研究科博士後期課程単位取得退学。現在、東京外国語大学総合国際学研究院教授。専攻はスペイン語文学・文化論(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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コットン
76
『わたしがどのように修道女になったか』という物語のはずが…。出だしから、父のアイスクリーム愛を吹き込まれてアイスがまるで神話のようになっていた。そんなアイスをわたしが一口食べたとたん「ま、…まずい」と…。そこからラジオになったり、母を尾行したり、学校に行くと名前を呼ばれなくなったりと、現実的でありながら支離滅裂な世界へと~。2017/01/01
吉田あや
65
「わたしがどのように修道女になったか」という物語ですが___と唐突に始まり、そこからすぐこの語り手は信頼ならないタイプだと読者を警戒させる。相反し続ける語りは猛スピードで転がり続け、混乱の渦へとあっという間に読み手を惹き込んでいく。もしやこれは太宰の「女生徒」のような思春期の女の子のくるくると移り変わる脳内展開の物語なのかと思えばそれだけでもない。この物語は主人公が六歳の頃に始まり、その前にはなにもないと最初に語られるが、(⇒)2023/06/30
藤月はな(灯れ松明の火)
48
「katsukura」で紹介されていたので読みました。語り手がどうやって修道女になったかという文から始まる。しかし、主人公が「坊ちゃん」と呼ばれていたり、父親は子供をヒステリックに折檻した後、殺人を犯したり、語り手は物事をさかしまにとらえてしまう病に罹り、主人公を指導する先生は「彼は穢れている」と子供に狂的に伝えたりと捉え所がない。狂っているような世界の中で淡々と語られる主人公の心境の読めなさが一種の魅力となっています。冬なのに種も入っていて甘酸っぱくて時々、種で苦い苺のアイスクリームが食べたくなりました2012/11/14
星落秋風五丈原
43
アイスクリームに始まりアイスクリームに終わるセサル・アイラの自伝的小説。「わたしの物語、というのはわたしがどのように修道女になったかと言う物語」と書いてはいるもののわたしはそもそも「女」にはなれない。だって主人公の名前はセサル・アイラ(作者と同じ)。あまりに苺アイスクリームを「まずい!」と言い続ける場面が長かったので「これはアイラがおかしいのでは?」と思っていたら実はこれだけは本当にまずかったというオチつき。6才にしては醒め過ぎた主人公によって語られるあれこれを読むとアイスクリームがトラウマになるかも。2015/11/14
かわうそ
40
事故による障害のためか本来持ち合わせた性質によるものかはたまた6歳の子どもの認識なんてそもそもこの程度のものなのかとにかく信頼できないこと極まりない語り手に終始翻弄される。一人称小説にふさわしからぬ結末までクエスチョンマークばかりが並び続ける感覚が楽しかった。2015/11/03