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内容説明
生涯にわたって“聖なるものの顕現”を探究し、二〇世紀文学に偉大な足跡を残したミルチャ・エリアーデ。その全幻想小説を編年体で網羅した、世界初のオリジナル全集。
著者等紹介
エリアーデ,ミルチャ[エリアーデ,ミルチャ][Eliade,Mircea]
1907‐1986。陸軍将校の次男としてブカレストに生まれる。高等中学生時代から幻想小説の執筆に手を染め、早熟の才を発揮。ブカレスト大学卒業後の1928年、インドに渡り、ヨーガやタントラの修行を行う。帰国後は宗教学者として画期的な論考を次々に発表する一方で、処女作『マイトレイ』の成功により小説家としても活躍。第2次大戦末期、パリへ亡命、以後、終生故国へ戻ることはなかったが、亡命生活の中でもルーマニア語で小説を書き続けた。以後晩年にいたるまで、宗教学者・小説家双方の仕事を精力的に続けた
住谷春也[スミヤハルヤ]
1931年群馬県生まれ。東京大学フランス文学科卒。86~90年、ルーマニア在住、ブカレスト大学文学部博士課程修了。主な訳著に、レブリャーヌ『大地への祈り』(日本翻訳家協会文学部門最優秀賞)など
直野敦[ナオノアツシ]
1929年大分県生まれ。東京大学フランス文学科卒。一橋大学大学院社会学研究科修了。57~65年、ルーマニアのブカレスト大学に留学。ルーマニア語学、文学研究の第一人者。ルーマニア語のほか、ロシア語、ポーランド語、アルバニア語など東欧文化・文学を研究
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
多聞
21
『ムントゥリャサ通りで』が、他収録作品の存在を掻き消してしまうほど傑出している。非リアリズムとリアリズムの融合であると同時に、『アラビアンナイト』的な語る者と聞く者、あるいは作者と読者の物語といえる。ファルマの語る物語はひたすら脱線を繰り返し、年月や空間を超越しつつ膨大な迷宮と化し、聞く者を魅了していき、ついには現実と幻想の境界をも消滅させる。それにしても、何という凄まじい作品と巡り会ってしまったのだろう。何度でも読み返さずにはいられない。2012/04/11
ヴィオラ
10
2巻に入って、少しずつ歯応えが出てきたというか、宗教的モチーフが入り込んできたりして難解な所もあるけれど、それでも小説として抜群に面白い。幻想小説好きなら迷わず読んで!とオススメ。噂には聞いていた「ムントゥリャサー」は、上がったハードルを軽く超えてくるくらいの楽しさ。この全集は入手難だけど、単独で訳されてるから是非。ただ「ムントゥリャサ〜」でお爺ちゃん校長の話に出てくるキャラが主役になった短編「ディオニス〜」とかもあるから、なんとかまとめて読んでもらいたい気持ちががが2021/02/13
roughfractus02
7
前巻の作品群が因果的な直線状の時系列で進んだのに対し、語り手たちの饒舌さが時間を作る本巻の作品群は、原因に辿り着くことを拒否するかのように、遡行しても中途で分岐し、枝葉末節に広がっていく。饒舌さが突如投げ出されたり(「アディオ!…」)、途切れて断片化しながら苦悩を語ると(「営舎の中で」)、読者はそれだけで作品の良し悪しを評価しそうになる。が、「ムントゥリャサ通りで」を読むと、饒舌さが言葉で示すしかできない垂直運動する聖なる中心を迂回し続けていたことに気づく。ファルマはエレベータを使わず、階段を上っていく。2021/08/09
gu
6
『ムントゥリャサ通りで』は政治システムの迷宮が物語の迷宮に翻弄されているようで可笑しい。この作品と『イワン』くらいしか自分にはよくわからなかった。たぶん現実とは人間に認識できるものではなくて、その一端に触れてしまった時に見えたものを幻想とか神話と呼んでいるのだろう。たとえばUFO体験もその一種だと思う。異界に迷い込むのでも異界から闖入者が現れるのでもなくて、今ここが実は異界だったという感じ。2014/03/31
sibafu
4
「ムントゥリャサ通りで」は改めて読んだがやはり傑作。多重構造的に物語内物語が紙の上を支配していく構成であり、謎を深める結末でもあるのだけどミステリー風の謎解きの面白さと読み易さがある。というか、他の作品が読みづらく何が起きているか把握するのが大変なものが多いのだけど。エリアーデはおそらく意識してだろうけど、同じ文章を繰り返す文体をよく使っているせいもある。その文体は読みにくさと同時に迷宮みたいな幻想性を生む。タイムスリップしたりワープしたり、そういうことが魔術的に起こるがやはり現実味とのバランスが上手い。2015/03/22
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