内容説明
クラレンス・アール・ギデオン(Clarence Earl Gideon)は、パナマシティのビリヤード場(兼賭博場)に侵入し窃盗を行った罪で訴追され、弁護人の選任を申し出たにもかかわらず裁判所に拒否され、有罪となっていた。州の刑事事件においては、1942年の連邦最高裁によるベッツ対ブレイディー判決により、貧しい重罪事件被告人は、死刑その他特別の事情がある場合以外には、裁判所により弁護人の選任を受ける権利が認められていなかった。ギデオンは、弁護人の援助を受ける権利の侵害を理由として、連邦最高裁に有罪判決の破棄を求めた。ギデオンが有罪となった州裁判所での事実審理の模様、弁護人がどのように訴訟に備え、全米各州の司法長官や著名な研究者などがどのような役割を果たしたのか、そして連邦最高裁での弁論と結論、それに基づくギデオンに対する新たな事実審理の様子などを、訴訟記録をはじめとする膨大な資料に基づいていきいきと描き出す。
目次
事件番号「雑八九〇」
ギデオン対コクラン
連邦最高裁の重い扉
弁護人
孤独な闘い
連邦主義という壁
面会室にて
弁護を受ける権利
エイブ・フォータス
援軍
決戦
第一の勝利
燎原
「連邦最高裁」考
著者等紹介
ルイス,アンソニー[ルイス,アンソニー] [Lewis,Anthony]
元ニューヨーク・タイムズ紙のコラムニスト。同紙ロンドン支局長を務める以前は、タイムズ紙ワシントン支局でアメリカ連邦最高裁及び司法省を担当。1927年、ニューヨーク市生まれ。1948年にハーヴァード大学を卒業後、ニューヨーク・タイムズ紙の日曜版部門で四年間勤務、その後ワシントン・デイリー・ニューズの遊軍記者となる。その間、連邦の忠誠審査に関する一連の記事で1955年にピューリッツァー賞の国内報道部門およびヘイウッド・ブルーン賞を受賞。1956-57年ハーヴァード大学ニーマン・フェロー。1963年、連邦最高裁に関する報道で二度目のピューリッツァー賞受賞。2013年3月、ギデオン対ウェインライト判決からちょうど50年後、ケンブリッジの自宅で死去
田鎖麻衣子[タグサリマイコ]
弁護士(第二東京弁護士会)。東京大学法学部卒。一橋大学大学院法学研究科博士後期課程修了(博士(法学))。特定非営利活動法人CrimeInfo代表、一橋大学法学研究科非常勤講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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