出版社内容情報
米国型資本主義を倣うばかりでは、人々の絆が断ち切られ社会が廃れる。大阪・千日デパート火災事件で出会った「人々」から学んだ「商人の魂」。ここに中坊公平の原点がある。
はじめに
序章 事件 史上最悪のデパート火災
第1章 火災前夜
それぞれの出発
◎松尾國三 ◎靴下からアクセサリーに ◎ほんのご近所
◎母のために「いっちょやったろか」 ◎近江商人の夢 ◎二次募集
千日デパート開業
◎「千日センター」が「千日デパート」に ◎「松和会」結成 ◎夜店やなあ
◎ニチイ入居 ◎セブンコーナーとマルハン ◎出会い
第2章 火災、発生
◎人生を変えた夜 ◎火元責任者 ◎混乱する現場
復興対策委員会
◎復興対策委員会、結成 ◎「ドリームはいの一番の被害者だ」
◎暴走 ◎ワシらには松和会がある ◎脱会
松和会の闘い
◎「均等に分けます」 ◎「滅失」? ◎内容証明 ◎解雇
◎結局は大家と店子、象と蟻 ◎楽観 ── いきなりの親玉登場
◎交渉難航──「松和会与しやすし」か? ◎弁護団結成
兵糧づくり作戦──弱いもんの闘い方
◎対等に話をするために ◎落とし穴は地下街に ◎指揮官の絶望、中坊の号泣
第3章 損害賠償請求訴訟
本訴提起
◎損害賠償請求訴訟、提起 ◎嵐の船出
出廷妨害
◎社員と商人 ◎山本証人、出頭できず? ◎無事、開廷
勝利への決定打
◎千日デパート管理部長 ◎「管理部長」の仕事
中間判決
◎突然の結審 ◎中間判決
第4章 損害賠償請求訴訟 第2幕
損害の拡張
損害の立証
◎立証のためのプロジェクト ◎おみくじレシート
滅失論
◎新たな争点、賃借権 ◎『建研報告書』 ◎用語事典 ◎左官屋の息子
現場検証
◎四年ぶりの現場 ◎フェノールフタレイン液7 ◎あと一六〇年は大丈夫
◎「直ちにやれ」
裁判の混乱
◎不可解な訴訟指揮
『建研報告書』、揺ら
◎計算間違い? ◎ミスを認める ◎証人尋問
「悪者は、松和会」
◎平野らの和解 ◎援護射撃 ◎闘いは続く ◎共通の敵
仮処分合戦
◎滅失論は順調に崩れていく、はず ◎このへんが潮時や ◎仮処分申
◎期待と不安 ◎抜粋 ◎不協和音 ◎リーダーの選択
◎脅迫 ◎どんなことがあっても解体する ◎再度の考案 ◎塞翁が馬
◎沈黙の三年 ◎誤解 ◎即決和解2 ◎請求額の減額
◎一審終局判決 ◎会長交代 ◎三六人全員に、ちゃんと渡るようにせないかん
◎新ビル出店は一三店 ◎エスカールビル、オープン ◎後日譚・訴訟
◎後日譚・エスカールビル ◎最終覚書 ◎偲ぶ会
中坊公平の回想 その1
中坊公平の回想 その2
中坊公平の回想 その3
中坊公平の回想 その4
あとがきにかえて
巻末資料
はじめに
「三方よし」という言葉をご存知でしょうか。「売り手よし、買い手よし、世間よし」──これは、近江商人が一五〇年以上も前から脈々と培ってきた経営理念で、現代の企業活動にも生かされるべき精神です。少し言葉を変えて「店よし、客よし、世間よし」と表せば、よりわかりやすいものになりますが、要するに、売り手である店・企業の側だけが得をしていい思いをするのではなく、買い手であるお客さんにも益をもたらして喜んでもらう。またそうした商行為、企業活動が社会全体を豊かにしていくものにしようということです。
日本語の「道徳」、英語の「モラル」、元は、「モラール」というフランス語です。「モラール」は、ラテン語の「モレス」という言葉から生まれている。その「モレス」をラテン語の辞書で引っぱると「志の力、意志の力、活力」と書いてあります。つまり、道徳こそが活力であるということです。本来、資本主義社会を動かすのは「エゴ」ではなくモラルだったのです。だから道徳と経済が一体であるというのはおかしな話ではない。本当の意味での活力を生み出す力は、実は道徳にあるのです。
その証拠に、産業革命を起こしたときのいわゆるピューリタンたちの精神というのは、「勤労と節約」です。よく働き節約せよというのが、資本主義社会を作った時のイギリスの市民階級の精神だったのですね。
ところが今はどうですか。よく働けではなく、「もっと休め、もっと遊べ」となった。そして、節約どころかどんどん買ってどんどん消費しなさい。消費が拡大されないと資本主義社会が栄えない。こういうことですよね。
七〇年代以降、日本は確かに物で溢れる資本主義社会になったけれども、それと反比例するかのごとく私たちは心の豊かさを失ってきました。いつのまにか資本主義社会の原点を忘れ去り、見失ってしまったのではないでしょうか。
だからこそ「三方よし」の精神を見直したいのです。美談でもなければなんでもない。これが原理原則、商い(企業活動)の基本だということです。かつてのライブドアが行なったようなマネーゲームは本当の資本主義ではないと私は考えています。
九〇年代にソ連や東ドイツなど社会主義国家が次々と崩壊し、資本主義体制に転換していきました。今や東西陣営・二極対立というものは消滅し、資本主義社会のみが存在しています。しかし、その資本主義体制というのは一体何なのか。各国が進む方向は要するにアメリカ型資本主義です。資本主義の末路というか、悪くすれば最後は戦争を仕掛けるしかないというそういう傾向になっているわけですね。
だから、もういっぺん原点に戻ろう、資本主義が生まれた一八世紀中頃のピューリタンの気持ちに帰りましょうと呼びかけたい。商い(企業活動)の精神は先ほど申し上げた「モレス=道徳」にあるということです。で、道徳というのは、自分の足で立つ「自立」と自分を律する「自律」、そして「連帯」がなければ成り立たないと思います。
* * *
人と人との絆が分断されてきているというけれども、その主たる原因は社会経済や政治にあるのではなく、実は日本人の一人ひとりが、「自立」、「自律」、「連帯」というところからだんだん離れていってしまったということです。今や日本では、自律ではなく強いエゴ・欲望が存在することが当たりまえの前提になっている。そして、人々が連帯するのではなく、わがままばかりのばらばらな存在になっている。日本の社会、資本主義は明らかに行き詰まっています。
ところが、それを治す唯一の処方箋が小泉首相のいう構造改革だということになっている。日本をもっとアメリカ型の金融資本主義の方向に進めよう。そして、市場原理をあらゆる範囲に広げ、弱肉強食の競争社会をもっと徹底させようというわけですが、こうした構造改革なんて処方箋どころか、エゴイズムをいっそう蔓延させることになるでしょう。
人と人との絆が分断されていく世の中の流れがけしからんと批判するだけではだめです。絆というのは、誰かが用意してくれてできるものではありません。各人がこれを作る努力をしないといけない。とはいえ、「自立」と「自律」、そして「連帯」というものを実際に行なうのは難しいものです。とりわけ、商人にとってはなおさら困難。なぜなら、商人には後ろ盾になってくれる人がいないからです。会社員であれば企業とか労働組合が守ってくれるし、公務員は権力が守ってくれる。でも、自分一人でやっていかねばならない商人というのは、誰も守ってくれない。しかも、七〇年代以降、大きな店舗が地域に進出し、小さな商店をどんどん駆逐していった。
町のあらゆるところで小さな商店が破壊され、みんな淋しく店を閉じていきました。私が子供の頃は豆腐は必ず御近所のお豆腐屋さんで買ったものですが、いつのまにかそれがスーパーになり、最近ではコンビニで豆腐を買う人も出てきました。私が暮らす京都でさえこういう傾向にあるのですから、東京や大阪ではかなりコンビニ化が進んでいるのでしょう。自動販売機とコンビニの蔓延、これが今の日本の社会を象徴的にあらわしていると思います。スーパーができ、コンビニができ、何とかチェーンができ、一人でやるという商売がなくなっていきました。それはイコール商店街がなくなるということです。そして、地域社会そのものも破壊されていきました。
昨今、日本が陥っている社会的な病理現象というのは、一言でいえば社会が崩壊していく過程だと思います。その崩れていく過程は、人と人との絆が切断されていく時代だとも言えます。ありとあらゆるものが金融資本主義に流れる。そういう中で人と人との絆が断ち切られていき、弱者は孤立無援のまま一生を終わっていく。これが、この四半世紀に日本が抱え込んでしまった大きな病気じゃないかと思うのです。
では、社会の崩壊がどんどん進行する中でこれを阻み、人と人との絆を作り直し社会を再生する鍵はどこにあるのか。私はみんなが「三方よし」の精神を生かしていくことだと思います。アメリカ型の資本主義ではない、「三方よし」の商い・企業活動を大切にし、その方向に進んでいくことです。そして、それをリードするのは知恵と勇気を持った商人だと思っています。
優秀な商人というのは庶民の持っている常識、良識というものをすべて持っています。と同時に、彼らは自分たちの存在は脆弱で、「資本の論理」の前では風にそよぐ葦のごとくひ弱なものだということを、最もよく自覚してる人たちでもあります。しかしながら、アメリカ型の資本の論理・生き方に立ち向かえるのもまたこういう人たちなのです。
なぜ、私がそう考えるのか。それは、私が弁護士としての仕事を通してかかわった人々の中に、「自立」、「自律」、「連帯」をもって「資本の論理」に立ち向かい、見事に道理を通した商人たちが何人もいるからです。私は、当初商売人というものを蔑みこそすれ敬うようなことはありませんでした。しかし、さまざまな裁判闘争を通じて、名もなき商人である彼らから多くのことを学びました。そして、弁護士として逞しく成長しました。
* * *
私達は、自分の人生を振返ってみるとき、しばしば転機があったことに気付くものです。ある時期、ある事件、あるいはある友達に遭遇したとき、自分の従来の感じ方、考え方あるいは価値判断の基準に大きな変化が生じることがあります。
私の場合、それが一九七三(昭和四八)年、四三歳のときにやってきました。森永ヒ素ミルク中毒事件の被害者弁護団長として被害者訪問を続けて、不条理に泣かされている多くの被害者、その御家族の方と接した時でした。
虚弱児に生れ、落ちこぼれ組の一人として孤独と劣等感のなかで育ってきた私にとって、国立大学に入学し、司法試験に合格して弁護士となり、二九歳で独立して事務所をもち、生きる生活の智慧である現場主義、「現場に神宿る」を体得して、人生はたちまち、たくましい歩みをはじめました。よき事務所の人達、よき家族にめぐまれ、よき依頼者もでき、典型的なビジネス弁護士として道を歩み続けてきました。私は生涯このような一本道をしあわせのなかに暮していけるだろうと思った時代が四二歳まですすんでいました。
しかし、被害者訪問のなかで、時には一夜を共にして長時間話し合う中で、私の転機がおとずれました。生れた時に、何の罪もなく最初に口にした唯一の食料である粉ミルクにヒ素が混入していて毒入りミルクを飲まされた赤チャン。厚生省から一年ほどで後遺症なしと安全宣言され、てんかんの発作や麻痺症に悩む赤チャンとその父と母に対し、それは生まれついた時からの病だと宣言され、一四年間も放置され続けたのが被害者とその家族でした。
母親は、「乳のでない女が母親になったのは間違いでした」「今から思えばそれは毒入り粉ミルクでしたが、その当時そのミルクを口にふくませようとすると一歳に満たない子がそのミルクを手で払った。その時になぜ手で払うのか、このミルクはおかしいと何故気付かなかったのか……」。彼女らの口から一言も森永や国に対する非難はでてきませんでした。
でてくる叫びは自責の言葉だけだという実態を知ったときに、この人たちにとって、自分を責めることだけがなぜ救済になるのか考えました。自分が納得できる、自責だけが救済である。私ははじめて世の言う救済なんて本来あり得ない、森永や国を糾弾する判決がでてもそれがどれだけ救済といえるのかについて疑問を抱きました。
私ははじめて私のように生まれついての虚弱児などは程度がしれている、世の中にはもっともっと不条理に泣いている人達があちこちにいらっしゃることに気付きました。同時に程度の差こそあれ同苦の仲間たちに何か役に立つこともできるのではないか、弁護士としての職業をそのために役立てたいと考えました。
この時期、すなわち一九七三年九月、私が森永ヒ素ミルク事件を担当している時に遭遇したのが、前年の五月一三日に発生したデパート火災事件で焼けだされ、店も職業も失ったの人達でした。
その人達は家主である日本ドリーム観光⑭が建物は火災によって経済的に消滅したからテナントの賃借権が消滅した、ビルは建替えるから事実上無償で退去せよと迫られてきたのです。
森永ミルク中毒被害者弁護団の数名などと組んで、零細な小売り商人であるテナントの人達も団結して大企業の無茶な論理に正面から立向っていこうとしました。
私には森永ヒ素ミルクの被害者も千日デパート火災による被災者もともに同じ本質をもっていると感じ、「弱き者、団結せよ」、そして強者に立向い、不条理な論理に立向って闘おうとしました。松和会のテナントの人達は、私らとともに闘ってくれた同志でした。
世の中では小売り商人といえば、なんとなく小賢くてずるいという思いをお持ちの方も多いでしょう。しかしこの庶民のなかにもこんな大きな相手を向うに廻して、しかも同じテナントから冷やかにされても筋をとおす、道理にしたがった解決を求めることを唯一の願いとして、金銭以上に人間の誇りをかけて闘い抜いた人々がおりました。その記録がこの本になりました。
世の中がグローバル化をもとにアメリカ型資本主義が日本国を蔽い、このような地域にある小売り商店が次から次へと消えていく世の中にあって、負けるな、団結しよう、そして世の中の流れを変えようと訴えたいと思います。
松和会の会長を長く務め、中核として活動してくれた桑増秀さんが二〇〇五(平成一七)年六月に亡くなられた時、闘ったその一部分の記録でもよい、文書にして世に残したいと考え、松和会の生き残り組の人達とともに記録にして出版することにしました。
この本はただの裁判記録ではなく、「松和会」のみなさんの商人としての見事な生き様の記録でもあります。ぜひ御一読ください。
二〇〇六年五月 中坊公平