出版社内容情報
敗戦後、朝鮮半島北部の羅津から奇跡的に生還を果たした父・斉藤三郎が遺した手記。50代になって初めて真剣にその手記に向き合うことになった娘・斉藤とも子の74年後の訪朝記。親子2代での2つの手記が未来を開く。
【目次】
父が大切に遺していたもの
はじめに 斉藤とも子
十六歳 避難民生活の思い出 斉藤三郎
■避難生活のはじまり
あわや玉砕/會寧のはずが蒼坪へ/金野さん/新站/延社 停戦を知る
楡坪/白岩/東元台/村人たちの温情/危機一髪/日本兵の隊列へ
いよいよ咸興へ
■咸興での生活
日本人世話会/島屋旅館での避難生活/闇市で/飢えとシラミ
居留民の大矢さん/闇市の少女とオモニ/董秉洙さん
■興南での生活
宿舎「山海」で/菊池君/稲刈り/ある朝鮮人教師の話/興南に戻るも再び農村へ
再び興南、また農村へ/日本窒素の工場/「東洋館」へ移転/お正月
三角山の死体担ぎ/乞食の作法/ロシア兵に捕らえられる/再び日本窒素での仕事
友の入院と残った太田君/西湖津の日本人少年/森少年/「東洋館」の人々
ある夕方/煙草売り/再び董秉洙さんを訪ねる/ついに入院/退院、ひとり遺されて
■朝鮮脱出
闇船で南へ/江陵から釜山へ/いよいよ日本へ
解説 菱木一美 132
内田俊作さんのこと 斉藤とも子
訪朝記 斉藤とも子
入国/旅が叶うまで/平壌/いざ興南へ/董秉洙さんは……
日本がのこしたもの/離陸
おわりに 斉藤とも子 158
内容説明
親子2代で紡ぐ、明日への希望。敗戦後、朝鮮半島北部の羅津から奇跡的に帰国を果たした父・斉藤三郎の手記。娘・斉藤とも子が74年後に訪れた朝鮮には、素朴な、心熱い、優しい人たちがいた。
目次
十六歳 避難民生活の思い出(避難生活のはじまり;咸興での生活;興南での生活;朝鮮脱出)
解説
内田俊作さんのこと
訪朝記(入国;旅が叶うまで ほか)
著者等紹介
斉藤とも子[サイトウトモコ]
1961年、兵庫県生まれ。斉藤三郎の次女。十一歳で母をがんで亡くし、同じ境遇を描いたドラマに励まされ俳優をめざす。1976年、NHK少年ドラマ「明日への追跡」でデビュー。都立代々木高校を二年で中退。テレビ、映画、舞台に出演。1999年、大検を経て三浪の末、東洋大学に入学。舞台「父と暮せば」で被爆者と出会い交流が続く。2005年、初めての著書『きのこ雲の下から、明日へ』(ゆいぽおと)で、日本ジャーナリスト会議市民メディア賞、第十一回平和・協同ジャーナリスト基金奨励賞受賞。2026年、戦後80年日本映画平和賞受賞
斉藤三郎[サイトウサブロウ]
1929年5月29日、旧満州国吉林省生まれ。父は満鉄病院の医師。十人兄弟の三男。吉林陽明小学校卒業。吉林中学三年のとき羅津中学に転校。翌年、敗戦により約十か月の避難生活を送る。帰国後、岡山一中、旧制六高を経て京都大学医学部卒業。医師免許取得後、内科医として京大付属病院、神戸逓信病院、中央郵政研修所等に勤務。1962年に三歳の長女を、1973年に妻を亡くす。男手ひとつで次女と三女を育てる。2015年5月12日、八十五歳で死去
菱木一美[ヒシキカズヨシ]
1936年生まれ。東京外国語大学英米科卒。共同通信社入社。外信部記者。ソウル、ニューヨーク、ワシントン各特派員、外信部長、編集局次長、論説副委員長を歴任。96年退社。日本大学客員教授を経て、98年に広島修道大学法学部国際政治学科教授。2008年退任、同大名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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