内容説明
『哲学原本』3部作の中核をなす『人間論』をラテン語原文からの正確な翻訳で提供する。
目次
視覚線と運動の知覚とについて
じかに見た視覚による、ということはつまり、いかなる反射も屈折も存在しない場合の、対象の見かけの場所、すなわち一般的な言い方では、像の場所について
透視図法における対象の表現について
平面鏡および球状凸面鏡における、映された対象の見かけの場所について
球状凹面鏡に映された対象の見かけの場所について
一回だけの屈折を経て見られた対象の見かけの場所について
二度の屈折の後でのものの見え方について、すなわち球面状の凸レンズまたは凹レンズを用いた一般的な視力補正具について
二重にされた視力補正具、すなわち望遠鏡と顕微鏡について
言説と知識について
欲求と忌避、快と不快、ならびにそれらの原因について
感情、すなわち心の擾乱について
気質と習性について
宗教について
仮構上の人間について
著者等紹介
本田裕志[ホンダヒロシ]
龍谷大学文学部教授。1956年東京都に生まれる。1987年京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。2007年より、龍谷大学文学部助教授を経て現職(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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壱萬弐仟縁
7
中盤までは眼でどんな像ができてどんなふうに人間は認識できるのか、などが解明されていく。物理的生物学のような内容に見える。第10章の後半について書く。人間の動物中での固有性とは、一般的規則を自分のために思考でき、誤った規則を使用し他人に伝達する生き物(139頁)。やや改変したが人間も誤る存在であることは3.11原発事故で理解できる。広汎で危険な誤りを犯す。だから人間は生物多様性からすると、困った存在。人間は間違う存在だが、あまりにテスト、テスト、とテスト漬けにされる子どもも可哀想に思えてくる。過ちの哲学か。2013/04/29
左手爆弾
4
人間の発生や成長についての生物学的な話があり、その後は長々と視覚についてのユークリッド的な説明が続く。最後に言葉や感情についての、つまりは政治論に繋がるような人間論が語られる。興味深かったのが、ホッブズは倫理学や政治学を幾何学と同様の「ア・プリオリな学」と考えていることである。ホッブズは機械論のイメージが強かったが、彼にとって自然学(物理学)はア・ポステリオリな学であるという。このあたり、主著『リヴァイアサン』よりも洗練され、注意して読む必要があると感じた。2014/01/16
のうの
0
,2014/04/11
ppp
0
やはりヒュームに近いなと感じる一方で、時代が先である分、自分の説を宗教的立場から生じる反論から擁護するため、宗教についての議論を見据えている印象がある。「自然の創造者たる神の本性についての諸々の探求は穿鑿好きに過ぎる探求であって、敬虔の行ないのうちに数え入れられるべきものではない。神について学問的に議論する人々は、万人が既にして信じている神に対しての信仰を欲するよりも、自分で自分に納得したがっているのである」。ホッブズの人間観がクリアかつ平明に示されており、十分読まれるに値すると思う。2012/08/04