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内容説明
1930年、独身の職業婦人のために、日本で初めて建てられた「同潤会大塚女子アパートメントハウス」。ここは、元祖キャリアウーマンの城であり、「オールドミス」と揶揄されながら「個」の人生を生きた女性たちを守るシェルターでもあった。さまざまな女性がやってきて、さまざまな人生が交錯し、働く女性に新しいライフスタイルをもたらした大塚女子アパートメント、その73年の物語。
目次
プロローグ 落城
第1章 モダンガールのご出勤
第2章 同潤会を悩ませた“主張する女たち”
第3章 この人たちのシングル・ライフ
第4章 バイオリニストを育てた異国の住人
第5章 怪しい女やフェミニストが蠢く美しい廃墟
エピローグ セカンドステージへ
著者等紹介
川口明子[カワグチアキコ]
1950年、静岡県富士市生まれ。静岡県立富士高等学校、立教大学文学部卒業。出版社勤務を経て、フリーライターとして雑誌・新聞などで執筆(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
がらくたどん
56
大正生まれで丸の内勤めのモダンガールもどきだった伯母が(当然?家事力は皆無で良く母と衝突していたが面白い人だった)が後5年早く生まれていたら住みたかったと言っていた同潤会大塚女子。関東大震災の最大被災地が都心部だったため都市再建意欲が大義になり得た事と、花嫁修業用の資金を用意してもらえた女子層がそれを学歴と市場資格取得に回すのを妨げない時流が生んだ、あくまでも与えられた「女性活躍」の象徴だったことが良くわかる。老朽化し低所得層と混在になってからの方が掴み取った自立の足場としての本来の姿に思えるのが面白い→2022/06/28
ネギっ子gen
53
1930年、独身職業婦人の“気持ちの良い慰安所”として設立された、「同潤会大塚女子アパートメントハウス」。ここは元祖キャリアウーマンの城であり、「オールドミス」と揶揄されながらも、“個”の人生を生きた女性を守るシェルターでもあった。その73年の物語。冒頭に写真。巻末には、参考資料や年譜、人名索引。年譜に、あの乱歩賞の戸川昌子さんの名があり、人名索引にも錚々たる方々が登場。何より、70代フェミニズムのオピニオン・リーダーであった駒尺喜美先生のお名前があるのが、嬉しい。ということも含めて、実に、面白かった!⇒2022/06/19
ぶんこ
46
関東大震災後に同潤会が職業婦人のために作ったアパートで、高給を得ている人が対象の憧れのアパートだった。最初の方に都電路線図があったのが懐かしくて思わず写真を撮ってしまいました。大塚アパートも若かりし頃興味を持って外観だけ見に行きました。趣のある耐震性もあって保存に耐えうる建物を安易に破壊してしまう行政には落胆です。著者はかなり調べて書かれているのが感じられるたのですが、それでも物足りないくらいで、建築時の居住者が亡くなられているのが残念です。2018/12/28
夜の女王
31
大塚の同潤会アパートの誕生から終焉までを、住人の人生から語り継いだ本。取り壊し前にこのアパートを見たことはあるが、その頃は建物に興味もなく、ただのボロビルとしか思わなかった。最近になってようやく同潤会の価値を知った次第。震災後の昭和5年に建てられた鉄筋コンクリートで女子専門。共同風呂、共同食堂付き、さらに、共同の応接室やサンルーム付き。トイレは水洗。当時、だけではなく現代のシェアハウスでも相当至れり尽くせり設計だと思う。そんな画期的なアパートに入れたのは当初はエリートキャリアウーマンだったのは当然だろう。2020/05/29
とよぽん
19
1930年に建てられた、当時としては立地のよい、最先端の近代的なアパート。しかも、独身の女性専用(かなりの高収入でないと入居できない)の大塚女子アパートメント。2003年に解体されるまでの間、モダンな女性たちがそこに住み、集い、文壇との交流もあったという。石井桃子さんも関りがあったようだ。もう実物を見ることができないのが残念だし、今そのような住居があれば、ぜひ住みたい。「オールドミス」という言葉、いつごろまで使われていたのか・・・。2016/12/23