内容説明
満州事変、満州国建国、さらに2・26事件と、動乱の昭和にあって平和を模索する動きがなかったわけではない。その一つが1940年の東京オリンピック招致であった。それには国際連盟脱退という国際社会からの孤立を挽回しようとする意図と皇紀二千六百年の祝賀行事の意味があった。天皇の「詔書」と東京市の思惑の中、嘉納治五郎・杉村陽太郎・副島道正や広田弘毅といった人々の熱意によって東京招致に成功。提灯行列など国を挙げての大歓迎に湧くも、結局は返上することに…。奮闘と挫折の外交秘史。
目次
昭和十五年九月…東京でオリンピック開催
嘉納治五郎は国際派だった
あと十年でオリンピックを呼ぶ
昭和動乱に巻き込まれた
連盟脱退が火をつけた
昭和天皇の「詔書」が動かす
広田外交のなかの東京オリンピック
“人民の時代”が来た
IOC委員に副島が就任
ムッソリーニが降りた
杉村がIOC委員を辞任
副島、ロンドン辞退を画策する
東京に決まった
ついに返上
著者等紹介
梶原英之[カジワラヒデユキ]
1948年、岐阜生まれの東京育ち、慶応大学経済学部卒業。1974年、毎日新聞社入社。大阪本社経済部、東京本社経済部、「エコノミスト」編集委員などを歴任。現在、フリーの経済ジャーナリスト(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
更紗蝦
21
返上に終わった第十二回東京オリンピックの歴史を振り返っている本です。当時の日本の国際社会の中での立ち位置と、それに伴う外交がなかなか複雑な上に、スポーツというもの(ひいてはオリンピックというイベント)に対する当時の日本人の認識を推察するのも難しいため、思ったよりも読み進めるのに時間がかかりました。出版は2009年9月であり、2016年夏季オリンピックを東京都に招致できずに落選したのが2009年10月であることを考えると、かなり急いで出版にこぎつけたようで、校正・校閲の甘さが少々気になりました。2019/06/20
Miyoshi Hirotaka
6
嘉納治五郎は日本文化を海外に発展させた元祖Cool Japan。32年のロスアンゼルス大会の成功を追い風に40年の大会に立候補したが、競合は、ローマ、ヘルシンキ、ロンドン。対外的に孤立路線を歩み、国内でも動乱が続いたが、弱肉強食の帝国主義ではその程度のことには寛容だったようで、アジア初となる日本開催への期待は高かった。中国、フィリピンからも支持された。天皇の孤立阻止の詔書も関係者を勇気づけた。ところが日中戦争後に出された観測記事が世論を動かし、各国のボイコット阻止も不調に終わり、返上を余儀なくされた。2013/10/16
PIPI
1
紀元2600年の幻のオリンピックの舞台裏はこうだったんだ!と読んでいて、感慨深いものがありました。それに、姿三四郎の先生矢野正五郎こと、嘉納治五郎は、こんな時代まで活躍していて、開催の根回しの帰国の船中で亡くなってしまうというのが、暗雲を象徴していると感じました。2009/10/11
kozawa
1
国際関係は複雑だなぁ。ある一時点を切り取っても色々絡みあっている。スポーツと歴史2009/10/21
-
- 洋書
- Never Forget