出版社内容情報
沖縄戦開始の日の夜、「赤十字看護婦の歌」を歌いつつ陸軍野戦病院へと出発したひめゆり学徒隊。16歳の少女は、そこで何を見、何を体験し、何を感じ、何を思ったか──。
砲弾の下の三ヵ月、生と死の境界線上で書き続けた「日記」をもとに戦後50年のいま伝えるひめゆり学徒隊の真実。
初版から30年。著者の宮城喜久子さんも資料館建設・運営につくされた「ひめゆり平和祈念資料館」の成り立ちと現在の姿、そこに込められた思いと願いを、館長の普天間朝佳氏に寄稿していただき、「新版」として刊行。
内容説明
1945年3月23日、沖縄戦開戦の日の夜、「赤十字看護婦の歌」を歌いつつ陸軍野戦病院へと出発したひめゆり学徒隊。16歳の少女は、そこで何を見、何を体験したか―。砲弾の下の3カ月、生と死の境界線上で書き続けた「日記」をもとに伝える、ひめゆり学徒隊の真実。
目次
沖縄戦のはじまった日
“軍国少女”の日々
父の反対、母の涙を振り切って
戦場へ、夜の行進
約半数が死亡した学徒隊
陸軍病院での壕掘り
三角兵舎での卒業式
砲弾の下の決死の水汲み作業
トラックでの食糧集め
ふえつづける負傷兵
死んでゆく負傷兵
病院壕の少女たち
死体埋葬
あいつぐ学友の死
南部への移動命令
津嘉山の壕で見た牛島司令官
最前線に取り残されて
南部への泥の道
二カ月ぶりの洗顔と歯磨き
戦場で出会った大勢の朝鮮人〔ほか〕
著者等紹介
宮城喜久子[ミヤギキクコ]
1928年10月31日、沖縄県勝連村(現うるま市)に生まれる。1945年3月23日、沖縄県立第一高等女学校4年在学中に球18803部隊沖縄陸軍病院(南風原陸軍病院)に動員される。3月29日、卒業(戦場で卒業式)。6月21日、喜屋武荒崎海岸で米軍に収容される。1946年8月、沖縄文教学校師範部卒業。1946年以降、各地の小学校・中学校に勤務。1986年退職。84年より講演活動を始める。1986~89年、ひめゆり平和祈念資料館建設期成会資料委員。1989年よりひめゆり平和記念資料館運営委員/証言員をつとめた。2014年12月没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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