戦後の国家と日本語教育

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  • サイズ A5判/ページ数 358p/高さ 21cm
  • 商品コード 9784874246214
  • NDC分類 810.7
  • Cコード C1037

出版社内容情報

戦後の国家政策の中で、日本語教育はどのような意味を持たされてきたのか。大きな政治的影響力を持つ人々が日本語教育に期待した役割を、彼らが日本語教育に与えた意味の歴史とともにたどっていく。歴史小説のように面白い。

太平洋戦争に敗北した後の日本語教育は、しばしば、「国際交流のため」であるとか、「学術・文化交流・経済交流のため」、あるいは「外国語としての日本語を学ぼうとする人々の要求に応えて、日本人が支援するといった形での日本語教育」として表象されてきた。
 しかし一方では、一九六〇年代末に「復帰」せまる沖縄で行なわれた「ほんとの日本人の心を守る」教育も、国語教育ではなく日本語教育と呼ばれていたのだし、中国からの「引き揚げ者」やインドシナ難民に対する日本語教育の目的については、一九八〇年代に幾人もの国会議員が「早急」に「円滑」に「日本社会に溶け込んでいただく」ことを挙げている。
 日本語教育は、その時々に様々な形で国家と関わりを持ってここまで来た。国家もまた日本語教育に様々な名目と意義を与えた。
 本書の目的は、戦後の国家政策の中で、日本語教育はどのような意味を持たされてきたのかという問いに答えることである。そのために、戦後、国家は何のためにどのようなカテゴリに誰を入れて日本語学習者としたのか、その時々に日本語教育が期待された役割はどうあったのかを検証する。それはいま日本語教育に関わる人々が―私たちが、どのような流れの先にいるのかを明らかにしようとする試みでもある。(序章より)

序章
 1 問いの提示
 2 本書の意義
 3 データとその参照方法
 4 視点の取り方と本書の限界

第1章 戦前・戦中への参照および戦後の体制整備の中での日本語教育(~1970)
 1 敗戦と飢餓、言語の転換
 2 新生日本再建と国語―文字改革に関する議論と、「日本語学習者」への言及
 3 復旧と「領台」時代の日本語教育への言及、混血児
 4 国費留学生の招致開始と、コロンボ・プランに基づく研修生の受入れ
 5 賠償の一環として受入れたインドネシア留学生
 6 日本人海外移住者、日系移民子女のための日本語教育
 7 田原春次と日系人への日本語教育
 8 「国際文化交流」と日本語教育の意識化
 9 小笠原諸島「返還」と日本語教育
 10 沖縄の「復帰」と日本語教育

第2章 日本語の対外的な普及へ―国際交流基金法の成立(1972)
 1 この時期の日本人・日本語・日本文化に関わる論調
 2 国会会議―国際交流基金法の検討
 3 誰の日本語(学習/習得/普及/教育)を、何のために
 4 どの言語をどのように
 5 国会議論における日本語の意味づけ

第3章 「円滑」に「早急」に「日本社会に溶け込んでいただきたい」―就業・定着のための日本語教育という意識(1973~1989)
 1 誰が何のために日本語を学ぶのか―話題グループのこれまでとの違い
 2 「引き揚げ者」への日本語教育
 3 インドシナ難民への日本語教育
 4 「早急」に「円滑」に「溶け込む」ことについて

第4章 「砂漠状態」という認識―留学生受入れ十万人計画の始動と拡大(1970~1985)
 1 はじめに―問いの置き換え
 2 留学生に対する日本語教育の意味づけ(どんな留学生に、何のために:1970~留学生十万人計画構想期)
 3 日本語教育の意味
 4 中曾根康弘首相のASEAN訪問と21世紀のための友情計画
 5 二一世紀への留学生政策懇談会

第5章 就学生と日本語学校の表面化、スティグマ化―好ましい外国人/好ましくない外国人の区別が進むなかで(1986~1991)
 1 前提―留学生とは
 2 「花ざかり外人向けビジネス」―就学生と日本語学校の増加
 3 査証発行希望者増大の背景
 4 「不法就労」と「出稼ぎ」、「日本語学校」の共起、社会問題化
 5 「上海事件」―一一月の領事館取り囲み
 6 真に日本語を学びたい者―そうでない者という区別
 7 「まじめ」という言葉で覆われたものの意味

第6章 子供たちのための日本語教育―「国際化」から「多文化共生」へ(1990~)
 1 1990年 出入国管理及び難民認定法の「改正」がもたらした状況の変化
 2 理念を語る言葉の変化―「国際化」から「多文化共生」へ
 3 「多文化共生」の位置づけ―手段/目的/状況を表わす用語として
 4 「外国人児童生徒」と国会議論
 5 称揚理念/誰がそこに関わるか
 6 日本語教育の期待された役割

第7章 新たな一連の政策・計画と日本語教育(2003~)
 1 背景にある今日の状況
 2 「日本の発信力の強化」の戦略、経済成長戦略と日本語教育
 3 留学生30万人計画と日本語教育
 4 EPA看護士・介護福祉士候補者受入れと日本語教育

結論 戦後の国家が日本語教育に与えた位置、期待した役割
 1 二つの大きな流れと、三つめの流れの兆し
 2 称揚理念について
 3 これからの日本語教育へ

【著者紹介】
山本冴里(やまもと さえり)
日本およびフランスの複数の教育機関を経て、現在、山口大学留学生センター講師。2012年に早稲田大学で博士号(日本語教育学)取得。日本語・フランス語(・英語・中国語)で研究活動を行っている。専門は日本語教育学・複言語教育・多言語教育で、特に興味のある概念は「境界」と「周縁」。

感想・レビュー

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結局、日本において、外国人労働者ないし、その家族って、住んでる国において、それを支える政党を持てない。ただ、経済的に利用されるだけ。たいして、ポストコロニアルと称して、第三世界に行って、統計学も使わず、観察して帰ってくる、日本の学者。読んでていらただしくなってきた。第三世界の、言語使えるなら、国内で、その人たちのために、何か組織作れるかなぁとか、考えた。何かしら、自己を反映する力を持たないものに対する視線って、もちつづけたい2014/11/16

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