内容説明
生をみつめる清澄なまなざしが、時を超えて心を照らす。人間の真実相と真の自由を追究し、あるがままに、思うままに生きよと「自己」を解き放った親鸞の言葉を読みとく。
目次
聖人の繰言(念仏にまさるべき善なきゆへに;よきひとのおほせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり;善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや;慈悲に聖道・浄土のかはりめあり ほか)
歎異つれづれ(嘘;称名のできるような人になりたい―信ずることそのことが救済である;和国の教主聖徳皇と歎異の心;『教行信証』のなかの人間親鸞像 ほか)
著者等紹介
高橋弘依[タカハシヒロエ]
1928(昭和3)年、福岡県に生まれる。大谷大学卒業。広琳寺第二十四世住職となる。1952年、大刀洗保育園を設立、園長となり現在にいたる
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感想・レビュー
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茶幸才斎
3
親鸞の念仏思想について巷間に異義が広まるのを憂い、門弟の唯円が親鸞の言葉を記し信心のあり方を示したとされる『歎異抄』だが、現代の仏教界にさえ驕りと権威主義が垣間見える中、今こそ『歎異抄』を寄る辺として親鸞の教えに学ぼう、という本。どんな行為も自分の意思や判断で成したと思うなかれ。全ては弥陀の力(他力)がなさしむること。とはいえ、所詮、私も煩悩具足の凡夫の身なれば、何事も自力ではままならぬと知り、念仏を唱える以外に仕方ない、念仏が自然と口からもれる無力の境地とは、非常に寂しく悲しいことだな、と思ってしまう。2020/02/13