内容説明
DADA(ダダ)の詩?―そんなものが存在するのか。文学史的に見れば、第一次世界大戦前後の一〇年間は「文学的表現主義」という概念と深く結び付いているのではないか。DADA?―それは喧騒、騒音、進行妨害騒動の爆発にすぎず、せいぜい支配的様式のどうしようもない奇形だったのではないか。第一次世界大戦が終結し、その結果、革命が引き起こされ、ドイツではすぐに鎮圧されたが、こうした時代の無秩序な文学的不随現象とされるものにすぎないのではないか。それは記録に留めるほどの価値のある、独自の「詩的表現の所作」に到達していたのであろうか。このような偏見に対して、本書のアンソロジーはDADAイズムの詩が現実に存在することを証明するものである。この詩は、たとえ完結した様式という立場を取らなかったとしても、あるいはまさに取らなかったがゆえに存在するのである。チューリヒ、ベルリン、ハノーファー、ケルン、パリ、ニューヨークという多様なDADAの中心地が多様にこの文学に関わっており、矛盾の中の統一を与えている。DADAはけっして発狂した珍奇性などでなく、実際には、まさに大量虐殺と大量殺戮を偉大な「成果」とするような時代の破壊性に対しての、きわめて繊細で多様な回答なのである。このことを本書は示すであろう。
目次
1 DADAチューリヒ(エミー・ヘニングス;フーゴー・バル ほか)
2 DADAベルリン(リヒャルト・ヒュルゼンベック;ジョージ・グロッス ほか)
3 メルツDADA(クルト・シュヴィッタース)
4 DADAケルン(ハンス・アルプ;マックス・エルンスト ほか)
5 DADAジュネーブ、DADAパリ、DADAニューヨーク(ヴァルター・ゼルナー;トリスタン・ツァラ ほか)
著者等紹介
宇佐美幸彦[ウサミユキヒコ]
1946年生。関西大学文学部教授、文学博士
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感想・レビュー
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