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出版社内容情報
もの言えぬ死者の声を聞き取りながら負の歴史に向かい合った作品を作り続ける関谷興仁の第4弾にして決定版の陶板作品写真集!もの言えぬ死者の声を聞き取りながら負の歴史に向かい合った作品を作り続ける関谷興仁の第4弾にして決定版の陶板作品写真集!
「無念の死者たちを悼む」
もの言わぬ死者の声
それが「放つ」もろもろの念い
「はなす」ことの叶わぬ人たちの「はなつ」磁力……
これらの陶板を前に
恥ずかしさと後ろめたさ
そして罪責感に苛まれながら
わたしたちは
耳をそばだて
眼をみひらく
ハルラ山
千鳥ヶ淵
SHOAH
チェルノブイリ
フクシマ
中国人強制連行
ヒロシマ
詩歌
オブジェ
関谷興仁[セキヤコウジン]
1932年、東京生まれ。55年、公立学校教員に。都教組文京支部役員等を経て、66年、中学校教員を退職、クリーニング業開業。68年、「救援連絡センター」設立に関与。81年より瀬戸屋職人の修業をし、83年に八潮市に、88年に栃木県益子に工房・窯をつくる。92年、益子工房に自作品の展示館「朝露館」設立。以後、原爆の図丸木美術館(東松山市)、南京虐殺記念館(中国)、アウシュヴィッツ平和博物館(白河市)等で作品を展示。作品集に、いずれも朝露館刊で『悼』(2003年)、『悼?』(08年)、『悼?』(13年)がある。
目次
ハルラ山
千鳥ヶ淵
SHOAH
チェルノブイリ
フクシマ
中国人強制連行
ヒロシマ
詩歌
オブジェ
著者等紹介
関谷興仁[セキヤコウジン]
1932年東京で生まれる。1955年早稲田大学文学部卒業。公立学校教員。1962年都教組文京支部役員。1966年中学校教員を退職。クリーニング業開業。1968年“救援連絡センター”設立にかかわる。1981年瀬戸屋職人になるため修行(半年間)。1983年埼玉県八潮市に工房・窯をつくる。1988年益子に工房・窯をつくる。1992年益子工房に展示館「朝露館」をつくる。2015年朝露館リニューアルオープン(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。