内容説明
現在の教育論に決定的に欠落しているのは、教師の学びへの着目である。「子どもの自主的な学び」論者も、「教師の指導」を説く論者も、教師の創造的な学びが子どもの学びを創り出すことを知らない。そのことを半世紀前から説いている実践者がいた。日本の教師の知恵が世界の教育観に挑む。
目次
序―斎藤喜博という資源
斎藤喜博とイーガン(物語である授業;謎の発見としての授業)
授業はミステリーづくり(事例「店」の授業;物語はどう作られるか;ストレンジであるとはどういうことか;教材の解釈がストレンジなものを創り出す)
「子ども中心」主義を吟味する(進歩主義教育批判;イーガンと状況論;プラトン的教育観―学問中心主義については)
段階的発達観の再検討(認知的道具と発達段階;イーガンの段階論;イーガンの段階論と教育)
対話としての授業(対話という論点;子どもの発言を組織する;子どもと子どもの対決・子どもと教師の対決;つなぐ―対話のもう一つの契機)
学習者である教師(斎藤教授学における教師の学び論;原学習者;学習論に教師を位置づける;真に協働的な学びとは)