内容説明
九州ではじめて「織豊系城郭」が建築されるのは、秀吉の九州平定後である。その技術が九州全般に広がるのは、肥前名護屋に全国の石工が集った朝鮮の役以後のことである。すなわち名島城・中津城・麦島城である。つづいて、熊本城・宇土城・福岡城などである。そして発掘調査により、名島城跡・中津城跡・麦島城跡、さらに名護屋城跡などから「金箔瓦」が出土し見つかってきた。新しい史料から、なぞとされてきた福岡城の天守閣と南二の丸の三階櫓を名島城天守と三カイ矢倉から比較考察した。
目次
1部(中津城と金箔鬼瓦;麦島城と金箔鯱瓦 ほか)
2部(名護屋城金箔瓦と鯱瓦の鱗分類;織豊系城郭の概念 ほか)
3部(関ヶ原の戦い以後の十五年間;初代藩主黒田長政と文書 ほか)
附記(飯塚市太養院と黒田如水・長政;愛媛県大洲城天守の復元 ほか)
著者等紹介
荻野忠行[オギノタダユキ]
1939年生。九州大学文学部卒。宮崎県立・福岡市立高校教諭。市教委高校担当主席指導主事。藤香会理事。福岡城四百年記念事業実行委員。NPO法人「鴻臚館・福岡城跡歴史・観光・市民の会」正会員(学芸部長)
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