出版社内容情報
空海、最澄、法然、親鸞、道元などにくらべて、あまり知られていない興教大師覚鑁の全貌とその思想・教学を本格的に明らかする。真言宗では空海が余りにも高度な仏教哲学を打ち立ててしまったがゆえに、天台宗に比べて教学が発展しなかったという通説が有る。しかし、覚鑁は真言宗において、空海以外では唯一の仏教哲学「密厳浄土」思想を打ち立てた僧として高く評価されている。司馬遼太郎はエッセイ「空海の風景余話」に於いて、「空海以外で唯一の真言宗の哲学者」という捉え方をしている。
〈覚鑁〉興教大師(1095-1143)とは?
弘法大師亡き後、約300年後、高野山が活力を失いつつある時、その状況を憂い、弘法大師の教えを再興するため高野山金剛峯寺の座主になり改革を押しすすめた。しかし、このような改革を良く思わない一部の僧侶の激しい反対にあい騒動が勃発。やがてこの争いは大きくなり、ついに座主を降り、根来山(和歌山県)に移る。以降、弘法大師の教えを再興するとともに、多くの学徒を養成し、後に「新義」といわれる真言宗の教学を確立。このため、真言宗中興の祖とされる。
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