内容説明
僕の名前は、ハヤシくん。1950年に団塊最後の世代として生まれ、70、80年代を情報誌「ぴあ」と共に駆け抜けた。そして、団塊の世代が青春時代を過ごした時代から、もう半世紀もの時間が流れた。世の中も、ハヤシくんの青春も、最も光り輝いていたのは、団塊の世代がまだ皆んな若かったあの時代なのだ。ハヤシくんは「団塊」の世代の1人であると同時に、ぴあをこよなく愛した「ぴあニスト」である。
目次
第1章 映画と出会ったハヤシくん
第2章 映画監督になりたかったハヤシくん
第3章 ぴあ創刊とハヤシくん
第4章 ぴあ編集部のハヤシくん
第5章 イベントとハヤシくん
第6章 ぴあ編集長のハヤシくん
著者等紹介
林和男[ハヤシカズオ]
1950年兵庫県芦屋市生まれ。1974年中央大学法学部卒。大学3年の時に、サークルやアルバイトで知り合った仲間と一緒に情報誌「ぴあ」を創刊。1978年~1983年「ぴあ」編集長。その後、同社取締役副会長、ぴあ総合研究所(株)社長などを経て、現在ぴあ(株)相談役Co‐founder。他に、一般社団法人PFF名誉理事、特定非営利法人映像産業振興機構(VIPO)理事、J‐WAVE番組審議委員会委員長など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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nobu23
6
びあの創業者の1人の自伝。 雑誌ぴあの創刊時は関わりが薄く、外から見た記憶がメインといった感じ。 途中から本格的に参入し、そこからは多くの思い出が語られている。 基本的に映画畑の人で、自身の思い出もぴあの仕事も映画の話がメイン。2022/11/10
まんだよつお
4
そう、あの頃ぼくたちはそれぞれが違う場所で同じ夢を見ていたのだ。情報誌『ぴあ』の創刊に関わり、編集長、特別顧問、相談役を歴任した林和男の思い出話。網羅性、平等性、客観性、公平性、正確性を編集方針に、いつ、どこで、どんな映画を上映しているかという情報に特化した内容は画期的だった。根っこにあるのは、フェリーニ監督『8 1/2』の「人生は祭りだ、共に生きよう」の精神。急逝した大森一樹監督の自主映画を紹介、応援し、彼の商業映画第一作『オレンジロード急行』のムック本を出したのも『ぴあ』だったなあ。2022/11/08