内容説明
東ドイツの「総合技術授業」とは?1958年から1989年まで、東ドイツの若者の教育を特徴づけた総合技術教育。そのコアに在った総合技術授業と生徒の生産労働。統一後、ほぼ全否定されたこの「教育エピソード」の詳細が、四半世紀以上の期間ののちに、ようやく回顧され明確になる。
目次
訳者による解説だけの特別な節1 総合技術授業、総合技術センター、総合技術スタッフ
総合技術上級学校(POS)―とは何だったか?
1976年の学校のある特別な一日
ズールの総合技術授業年表
すべてはどのように始まったか―党が道を決めた
1968年における修正
訳者による解説だけの特別な節2 総合技術授業が提供した技術教育の水準とは
新しい教科のための新しい教師
生徒はつらい目にあった
国営企業 車両・狩猟用武器工場「エルンスト・テールマン」ズールFAJAS
国営企業 電化製品工場 ズールEGS
国営企業 住宅建設コンビナート「ヴィルヘルム・ピーク」ズールWBK
訳者による解説だけの特別な節3 新しい総合技術センター
生徒の労働:教育か、それとも単なる生産か?
教師、実地指導員、実践家
「古参」教師から「新参者」教師まで―3人の伝記
教育システムへの組み込みについて
少女たちには特別な教科
コンピュータが来た
遠くズールからベルリンの専門誌に投稿
終焉
アジアでのキャリア
何が残ったか?回想と評価
著者等紹介
ドレスラー,グンター[ドレスラー,グンター] [Dressler,Gunter]
1947年、ドイツ(旧東ドイツ)メラーネ生まれ。1965年から1969年までエアフルトで学業を修め、その後ズールで20年近く総合技術の教師として働く。この期間、エアフルト教育大学で助手を務め、1977年に博士号を取得。1990年以降、彼はまず教員研修及び南チューリンゲン商工会議所で働き、その後17年間、南チューリンゲン手工業会議所の経営者教育を管理
三村和則[ミムラカズノリ]
1961年、宮崎県生まれ。1983年、広島大学教育学部教育学科卒業。1989年、広島大学大学院教育学研究科博士課程後期単位取得退学後、広島大学教育学部助手。1991年、沖縄国際大学講師、1994年、沖縄国際大学助教授、2000年、沖縄国際大学教授。研究テーマ:授業研究方法論、学級集団づくり方法論、ドイツの総合技術教育の遺産(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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