内容説明
意外に知られていない劇的な『奥の細道』旅の終わり…地元の研究者が現地調査をもとに克明に描く。「塚も動け我(が)泣(く)声は秋の風」…俳諧の友たちとの「出会いと別れの人生」を綴る。多数の写真と資料付。
目次
第1章 芭蕉と『奥の細道』
第2章 越中の歌枕
第3章 百万石の城下町金沢
第4章 源平ロマンと小松
第5章 山中の湯と全昌寺
第6章 越前路を往く
著者等紹介
山根公[ヤマネタダシ]
1945年1月28日石川県石川郡柏野村(現・白山市)に生まれる。1967年3月都留文科大学文学部卒業。1968年3月金沢大学法文学専攻科(現・大学院)文学専攻国文学課程修了。その後、石川県立高等学校教員、石川県教育委員会社会教育主事を歴任。1984年2月石川県教育工学研究会長賞。1996年8月石川県社会教育委員功労表彰。2003年10月松任市文化産業賞。専攻は俳諧史。現在、石川県観光スペシャルガイド、いしかわ観光特使、「風港」客員同人。「平和の俳句」選者、俳文学会員、白山市日中友好協会理事長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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田中峰和
2
日本人なら「松尾芭蕉」や「奥の細道」に一度は接しているはず。なぜ「加賀の」なのか。本書は長年石川県で教師を続けた著者のライフワークの発表なのだ。「おくの細道」という地名は仙台の東北6キロほどの所岩切の付近、今市から多賀城へ通じる道らしい。もともとは「奥州の細い道」という意味で、途中からこの辺りの道を指す固有名詞になったようだ。講演を通して小中学生の素朴な疑問に答えている。芭蕉が旅した距離はどのくらいか?約三千里、東京博多間を5往復する距離を歩いたことになる。標準語のない当時、東北の方言に困ったようだ。2018/05/15