内容説明
神よ、なぜ応えてくれないのですか?私はその答えを『沈黙』の中で雄弁に語り尽した。明かされる『沈黙』秘話。
目次
沈黙の声
日記(フェレイラの影を求めて)
父の宗教・母の宗教―マリア観音について
切支丹時代の智識人
基督の顔
ユダと小説
母なるもの
小さな町にて
著者等紹介
遠藤周作[エンドウシュウサク]
1923年東京生まれ。慶應義塾大学仏文科卒業。十二歳でカトリックの洗礼を受ける。1955年『白い人』で芥川賞を受賞。日本の精神風土とキリスト教の問題をテーマにして数々の名作を執筆、また狐狸庵山人を名乗りユーモア小説や、軽妙なエッセイで女性たちの圧倒的人気を博す。1966年『沈黙』により谷崎潤一郎賞を受賞。1970年ローマ法王庁から勲章受章。1995年には文化勲章を受章(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
夜間飛行
194
踏み絵に黒い足指の痕を見た著者はその後も長崎をたびたび訪れ、信ずるものを足で踏む行為について考えたそうだ。そして自らと似た弱者を小説の主人公に選んだという。キチジローの裏切りや〝戻ってくる心理〟(日本に、そして彼が役人に売ったロドリゴの所に)を自身のことのように述べており、作家の胸にはいつも人間が生き蠢いているのだと思った。ロドリゴが踏み絵に足をかけた時に鶏が鳴いたこと、切支丹屋敷で二度目の誓紙を書かされたことなど、一つ一つの細部や風景描写にまで痛みと愛情を込めながら書いていることを知り、感動させられた。2024/11/09
優希
86
周作先生のキリスト教に関する文章がおさめられていました。そこには神が応えないことへの叫びが込められているような気がします。キリスト者としての聖なるイエス、母なるマリアへの声は全てのキリスト者の代弁と言ってもいいかもしれません。2017/12/05
ネギっ子gen
36
70歳を目前にした著者が『沈黙』の舞台・長崎の旅を終えてのエッセイが、冒頭の「沈黙の声」。そこで以下のように書く。「おおげさなタイトルは嫌いな性格なので」、はじめ『沈黙』ではなく『ひなたの匂い』と題したが、出版側に「これでは迫力がない」と言われて、しぶしぶ改題。結果、困ったことに。読者が「これは神の沈黙を描いた作品」と誤解した。著者の意図としては、「神は沈黙しているのではなく語っている。そういった「沈黙の声」と言う意味をこめての『沈黙』だった、と。確かに、今現在に至るまで、著者のこうした意図は通じてない…2020/01/25
kanata
27
『沈黙』という題は周囲の意見で、遠藤氏には他案があったそうだ。そしてその意味もまた「神の沈黙の声(語り)」ではなく「神は沈黙していた」と広く解釈の誤解があったことが悔やまれると零す。読んでいるときは、もろ解釈の誤解のほうで読んでいたので、この本で氏の意図を知る。今年は五島へと隠れキリシタンを辿る旅をしたこともあり、氏の基督教に対する感じ方に興味をもっていた(それほど読んではいないけれど)。三浦朱門との旅を日記形式で綴るページを捲りつつ、長崎がなぜ氏にとってもわたしにとっても懐かしいものなんだろうと考える。2017/12/23
sayan
17
2日前に大変興味深く読み終えた「沈黙」。それは、人が苦痛(挫折)に直面するその時に、なぜ神は助けてくれないのか=神は「沈黙している」という箇所にリアリティを強く感じた。ところが本書を手に取り第一章「沈黙の声」を読んだ瞬間、その読み方が典型的な「誤読」であったことにKOを食らう。(読み方は人それぞれとはいえ)著者本人から「そんな挫折の書」として読まれるためにかいたのではない、神は沈黙などしていない、神は語っていたので、と断言されれば否応にでも再読意欲が掻き立てられる。少し時間をあけて読んでみたい。2018/02/05
-
- 洋書
- Prospect