内容説明
『資本論の世界』『作品としての社会科学』等で知られる、戦後日本を代表する経済学者であり、「学ぶこと」と「生きること」を一つのものとして、学生たちに深く、やさしく語りかけ続けた内田義彦(1913‐89)。「市民社会」とは何かを全身で問い、生涯にわたって「生きる」ことの意味を探求し、掘り下げていった内田を師と仰ぎ、読み込み、語り合い続けたもう一人の経済学者が、渾身の力で内田義彦の思想の全体と格闘。
目次
序 「生きる」を問う
第1部 内田義彦の学問(河上肇論―「科学」と「学問」のあいだ;内田思想の原型―「市民的なもの」と「階級的なもの」のあいだ;市民社会論―「交換的平等」と「人間的平等」のあいだ;“補”内田義彦はどう受け継がれたか―経済学の場合)
第2部 断想・内田義彦(探る;問う;読む)
第3部 内田義彦への招待(内田義彦主要作品案内;内田義彦名言選)
結にかえて―分業社会をどう生きるか
第4部 内田義彦論文献目録
著者等紹介
山田鋭夫[ヤマダトシオ]
1942年愛知県生。1969年名古屋大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。名古屋大学名誉教授。理論経済学・現代資本主義論(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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壱萬参仟縁
50
懐かしの山田先生の好著。「学問」とは、モノを見る眼を補佐してくれるよう活用すべき知的道具(18頁)。内田にとって、生きるとは賭ける、伝える、を内にもつ学ぶ、学問すること(23頁)。市民社会とは<主体的個人によって 下から形成される分業の体系>(114頁、アダム・スミスを含意して、引用者)。生きる、生きていることこそ自己目的、生きることと不可分な学問(154頁)。本当の社会科学は、体系や結論を溶かすことから始まる。流動化されてこそ真に社会科学、生きた科学として自分につながってくる(248頁)。市民大学院で2022/08/05