出版社内容情報
戦後70年――今甦る詩人の魂。
マンガと詩と音楽を愛すること一方ならず、戦争さえ諧謔の中に笑いとばした竹内浩三(1921―45)。映画監督を志し、自ら「ぼくは、芸術の子です」と記したが、時代はそれを許さず、70年前、フィリピンで戦死した。
30年以上にわたり浩三の作品を発掘・紹介し、評価しつづけてきた著者が、今こそ浩三の魂を甦らせる。
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■竹内浩三とは?
1921年、三重県宇治山田市に生れる。34年、宇治山田中学校に入学。「まんがのよろずや」等と題した手作りの回覧雑誌を作る。40年、日本大学専門部映画科へ入学。42年、中井利亮、野村一雄、土屋陽一と『伊勢文学』を創刊。同年10月に三重県久居町の中部第三十八部隊に入営、43年に茨城県西筑波飛行場へ転属される。44年1月1日から、「筑波日記一」の執筆を開始。7月27日に「筑波日記二」中断、12月、斬り込み隊員として比島へ向かう。45年4月9日、「比島バギオ北方一〇五二高地にて戦死」(三重県庁の公報による)。
【著者紹介】
●小林 察(こばやし・さとる) 1932年、三重県度会郡玉城町に生れる。宇治山田高校を卒業後、東京大学文学部卒業。玉川大学教授、大阪学院大学教授を歴任。翻訳書に『かなしみのクリスチアーネ』『アンディ(共訳)』(ともに読売新聞社)他。1983年、同郷の親友西川勉の遺稿追悼文集『戦死やあわれ』(新評論)を編集。84年『竹内浩三全集』(全2巻)を編集、85年竹内浩三の評伝『恋人の眼や ひょんと消ゆるや』を書下す。2001年『竹内浩三全作品集 日本が見えない』以降も、竹内作品の発掘・研究・紹介につとめる。
目次
序章 竹内浩三とはどんな詩人か
第1章 若い詩人の肖像―その運命の軌跡
第2章 青春に忍び寄る戦争の影
第3章 芸術の子、竹内浩三
第4章 兵士竹内浩三の詩魂
第5章 「骨のうたう」―無名兵士の有名な詩
第6章 竹内浩三と死者の視点
第7章 詩人竹内浩三の姿を追いつづけて
著者等紹介
小林察[コバヤシサトル]
1932年、三重県度会郡玉城町に生れる。宇治山田高校を卒業後、東京大学文学部卒業。玉川大学教授、大阪学院大学教授を歴任(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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