出版社内容情報
本稿は、重量荷物の運搬と幕府御用を勤めていた芝車町(港区高輪)における牛車の実態把握を目的としたものである。貴族の乗用車である牛車(ぎっしゃ)は京都で発達していたが、江戸時代には衰退していた。荷物運搬用の牛車(うしぐるま)は、京都・駿府(静岡市)・江戸・仙台、幕末には箱館等の限定された都市でしか使用されなかった。馬車にいたっては幕末に外国人居留地で見られたのみで、営業は明治維新を待たなければならなかった。牛馬だけでなく人力による荷車輸送も全国的な展開はなかった。西欧社会と比べて、車輌交通の未発達は江戸時代の特色といえよう。全国的には未発達の車輌交通が、江戸においては大八車、牛車ともに許可されており、改めて近世都市江戸のもつ意味が問題となろう。なお、辞典においては「江戸は徳川家康の入国以来、大津牛を招いて荷車に用い、牛原や車町に配置されて、建築資材を中心とする輸送にあてたが、大八車の普及につれて、地名にその面影を残すにすぎなくなった。」と説明されている(『国史大辞典4』、九四三頁、吉川弘文館、昭和五十九年、参考文献は明記されていないが、司馬江漢「春波楼筆記」かと思われる)。ここでは地名だけでなく実態を追求するつもりである。
http://www.soumu.metro.tokyo.jp/01soumu/archives/0604t_kiyo32.htm