内容説明
肉食は我々の義務である。ビーガンの心がけは立派だ。だがその道は地獄に続いている。食うことの本質に迫る挑発的エッセイ。
目次
第1章 口の愉しみ アミューズ―倫理的ベジタリアンをどのように捉えるか
第2章 オードブル―ベジタリアン実践小史
第3章 一皿目のメインディッシュ―倫理的ベジタリアンに「ならない」ことの、いくつかの(正しい)理由
第4章 二皿目のメインディッシュ―肉食者の倫理
第5章 デザートに代えて
著者等紹介
レステル,ドミニク[レステル,ドミニク] [Lestel,Dominique]
1961年生まれ。哲学者、動物行動学者。動物行動学を起点に人間と動物や機械の関係について論じている
大辻都[オオツジミヤコ]
1962年東京生まれ。フランス語圏文学。東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程修了。博士(学術)。京都芸術大学准教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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kenitirokikuti
5
〈たとえばビーガン界のスターであるキャロル・アダムズは、アメリカのプロテスタント神学者でもあり、男性から女性への暴力と動物への暴力を同一化して考えている。彼女の著書のひとつはいみじくも『肉のポルノグラフィ』というタイトルなんだ! セックスのお次は肉がアメリカ帝国主義の新しい不快さ(キモさ)の対象となり、不快さとの闘いはその〈ソフトパワー〉に組み込まれてゆく〉日本語版へのあとがき2020/10/08
引用
4
わかりやすくて良かった、日本語版あとがきが特によい。ヴィーガンのテロリズムはイスラーム過激派のジハーディズムと同じだなあと思っていたが、ピューリタン革命の流れから説明されていて腑に落ちる2022/06/29
Mealla0v0
4
本書が批判するのはビーガン一般ではなく「倫理的ビーガン」。それは、肉食という動物を不当に殺害する犯罪行為に反対するという倫理的態度をとる菜食主義者のこと。だが、この一見動物愛護的に見える在り方は、実際には動物嫌悪に基づいていると筆者は指摘する。なぜなら、人間と動物の間に根本的差異の境界線を引こうとする「種差別主義」という、動物解放論が批判する当のものを倫理的ビーガンが密やかに再生産しているからだ。肉を食らうということは、自らの内に動物を取り込むことを意味するが、ビーガンはこの動物性そのものを嫌悪している。2020/10/19
hoja5anta
1
まず記述対象は一部の倫理的(戦闘的)ベジタリアンであって菜食主義者一般ではない。生態系の代謝サイクルから自ら切断することでヒトをあらゆる生物の上位に位置付けようとするものとして、ヴィーガニズムに埋め込まれた種差別主義を痛烈に批判。ここから逆に菜食を戒律とする各宗教を概観するのも面白そうだ。哲学エッセイなので科学的議論に触れないが、趣味の問題以前に雑食性のヒトが動物性食品を断ることは自ずと糖質依存を招き、そもそも健康的ではない。だが根底に差別があるとすれば多少の非論理性も納得できる。2023/02/07
みずのり
1
ビーガンという言葉が複雑化していることに、気づいてはいるが上手く言えない人が沢山いる中で、「倫理的ビーガン」と「政治的ビーガン」というカテゴリーを作って論じているのはかなりわかりやすい。倫理的ビーガンは自らの動物性を排除しようとする者だとすると、端的に言うと「神になりたい者」なのかなと。それはやはり無理な事だし、自らが哺乳類であること、動物であることから目を背けないことは主張していきたい。そして肉食をする側もまた、今の肉食形態≒畜産が限界を迎えていることが事実であることを受け止める必要があるだろう。2022/01/03