内容説明
なぜ“絶望”しなければならないのか?“革命的になる”とは、どういうことなのか?ドゥルーズとゴダールを読解を通じて問う、いまこの世界に必要なこと。
目次
ドゥルーズ、革命的になること―不可能性の壁を屹立させ、逃走線を描出せよ
明解な世界に曖昧なフィルムを対峙させよ―ゴダール『中国女』をめぐって
絶望が個に返されている
著者等紹介
廣瀬純[ヒロセジュン]
1971年生まれ、龍谷大学准教授。パリ第3大学博士課程中退。専門は、映画論、現代思想(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
踊る猫
15
さっぱりワケが分からなかったのだけれど、それでも読む手を止めさせないスピード感溢れる筆致/語り口にやられてしまった。ドゥルーズ、ゴダール、アルチュセール……様々な思想家のテクストが引かれて熱を帯びた文体で絶望について語られる。資本家と消費者という対立は崩れそうにない。資本の巨大さの前で、私たちはどう革命を起こすべきか? このあたり私の不勉強で読めていないところが多々あるので、何度も読み返して大まかなガイドラインを掴めるようになりたい。今のところ書けるのはここまでである。丹生谷貴志氏にも似た狂気を感じさせる2018/04/02
瀬希瑞 世季子
3
元気が出るドゥルーズ論でした。DJ KRUSHの証言マイクリレーの志人のリリックを思い出すなど… ( https://youtu.be/Ml-EL6LvLt4 )2022/09/06
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3
ゴダールの『中国女』を観たので再読。『中国女』は学生活動家を皮肉った映画などではない。そこで行われているのは、赤と緑の対立、「曖昧な理念(形成途上にあるプロレタリア・イデオロギー)を明解な映像(その存在環境)に対峙させること」、つまり、二重の壁を屹立させることで革命の不可能性を創出し、逃走線=革命的になることを導き出すことだ。この映画は内容、形式両面においてすぐれて政治的であり、ゴダールは「二つの戦線で同時に闘いを進める」ことを実践したのだ!2017/06/14
ともすけ
3
ドゥルーズとゴダールの読解を通して絶望論を語る。「革命」することと「革命的になること」の違い。個人的に興味を引かれたのがゴダールの『中国女』。アルチュセール、毛沢東関連はエアポケットだったので理解できたとは言い難いがこれは観てみたい映画だと思った。廣瀬純氏は年齢的にも近いので共感する部分は多かった。この頃同年代のドゥルーズ研究者が続々と出てきてドゥルーズの読解するのに非常に役立つようになったと感じている。2013/09/26
犬猫うさぎ
2
『意味の論理学』でドゥルーズが「ストア派のパラドクス」として論じる「運命は肯定するが必然性は否定すること」、(…)すなわち、自分がどんな事物と出会うかは「運命」であり、いっさい私の与り知らぬことである。しかし、同時に私は、そのように出会ってしまった事物と、その事物が私の潜勢力を高めるような相のもとで出会い直すことによって、「通常であれば運命から派生するはずの必然性」についてはきっぱりと退ける。知覚による二重化の操作を通じて我々一人ひとりが自分自身でおのれの潜勢力を高める「原因」を作り出すこと→2024/05/20
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