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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
きくらげ
12
私は世界のうちにある私の身体から認識するのであって、世界の外部から観念的に把握するわけではない。私にとって私の身体は、「見るもの」であると同時に「見えるもの」でもある、という二重性を帯びている。その意味で 世界は「身体と同じ生地で仕立て」られた「肉」なのだ。2019/01/11
マリリン
11
理解できたという事が説明できるという事なら微妙な部分があるが、眼を耳と置き換えてしまうのはその方が自分にとってわかりやすいからだと思った。機能の違いはあるが五感という共通点がある。前書きの主観と客観はとてもわかりやすい。自分の存在を意識すると哲学に興味を持つのは自然な事だと思った。補注12の見者の手紙は興味深い。屈折光学についてはもう少し知識が欲しいと思った。2017/04/30
Bevel
5
知覚野が《存在》になり、この《存在》で火花が散り、身体を貸すことで、私の運動はエコーを内部化し「自分を展開する」。「自分を展開する」とは、エコーによって内部化された事物が、表現のための描線と動機を伴っており、これらによる絵画表現が今度は、内部化された事物を変質させ、他者の運動を喚起するものとして現れるということ。こうして肉眼は贈与を学習するコンピュータになる。絵画の卓越性(音楽批判や哲学の限界)を論じることで融通が利かないなとは思うけど、面白い。私の身体のprolongementとしての事物もよかった。2023/01/08
rymuka
2
画家の特権的な地位を積極的に認めた本! 読書録あり → http://rymuka.blog136.fc2.com/blog-entry-105.html2023/09/15
の
2
セザンヌの「眼」とデカルトの「精神」を組み合わせ、近代絵画の哲学を解く名書の新訳。絵画の表現方法を通した形而上学や存在論の考察で、絵画においては三次元の世界が二次元上に表現され、それを観覧側は(絵具やキャンパスではなく)現実世界に則したものだと存在を認識しているが、その世界は画家が自身の眼を通して見た世界に他ならず、画家の身体性によって世界は存在している。近代の科学的思考が芸術に影響しないのは、作家の身体性は科学によって(眼鏡は除いて)変えられないから。レトリックが柔らかい文体で理解しやすかった。2015/08/16