内容説明
猥褻か?芸術か?どころの騒ぎじゃない!!チャタレイ夫人、悪徳の栄え、愛のコリーダ…、昭和の先人たちが挑んだ芸術論としての猥褻論争も今は昔。ネット社会化により混迷するワイセツ規制は、いまや「ブツ」から人々の「思考」そのものへと、その権域の拡大を試みる。海外配信から、準児童ポルノ、非実在青少年、JKリフレまで…。「ヘア」解禁が話題となっていた1994年に刊行された旧版を、大幅な加筆と註釈によりメタ的にリノベーション。弁護士であり名画座館主でもある著者が、豊富な判例をもとに実証的に描き出す。もはや現代は「見えた」か「見えない」かではない、「見られて」いるのだ!!
目次
1 1994(発情するメディア―テクノロジーが駆動する欲望;まだ死ねずにいる猥褻裁判のために―チャタレイ夫人/サド/愛のコリーダ;越境の規則―税関という名の超絶理論体系;自主規制の政治学―映倫の存在理由;エンド・オブ・ザ・ロード―「有害」図書指定とは何であったのか;リベラリズムを超えて―フェミニズム・ポルノ批判異論;幕間 メディア・セックスの彼方に―エピローグ“1994”)
2 2017(「フリー経済」の果てに―ビデ倫摘発/海外配信;エロい芸術―エロと権力の付き合い方;エロと権力、ふたたび―準児童ポルノ/非実在青少年)
著者等紹介
内藤篤[ナイトウアツシ]
1958年東京生まれ。弁護士、ニューヨーク州弁護士。2006年より名画座「シネマヴェーラ渋谷」館主(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
時雨