内容説明
甲斐統一・甲府開府など、数々の功績を誇る名将はなぜ信玄に追放されたのか!?信玄の背後に隠れた知られざる実像を、武田氏研究の第一人者が活写する。
目次
第1部 戦国争乱の幕開けと信虎(信虎の家族たち;信虎誕生前夜)
第2部 甲斐統一戦と信虎(甲斐統一を目指す;戦国都市甲府の建設;念願の甲斐統一)
第3部 新機軸を打ち出した外交と内政(反今川から親今川へ;領国支配と家臣団編成)
第4部 信虎追放とその後の人生(信濃侵攻の開始;訪れた絶頂期とクーデター;長い余生と最後の戦い)
著者等紹介
平山優[ヒラヤマユウ]
昭和39(1964)年、東京都新宿区生まれ。立教大学大学院文学研究科博士前期課程日本史学専攻修了。専門は日本中世史。山梨県埋蔵文化財センター文化財主事、山梨県史編纂室主査、山梨大学非常勤講師、山梨県立博物館副主幹を経て、現在は、山梨県立中央高等学校教諭、放送大学非常勤講師、南アルプス市文化財審議委員。2016年放送のNHK大河ドラマ「真田丸」の時代考証を担当。著書多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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スー
21
29武田信虎と言えば残虐な行いと高い税金で嫌われ追放された人ですが、信虎は祖父と父の内戦で疲弊しており更に親の外交政策のせいで外勢力との戦いが続き度重なる災害と困難が続き大変な時期に当主になった不運な人だった。甲斐の物価の記録がしっかり残っていて父親や信玄や勝頼時代に比べて信虎時代が物価が上がり領民の生活が厳しかった事がわかる。信虎の悪行の資料は無いが信玄のクーデターがすんなり成功しているので領民や家臣達から嫌われていたのは間違いなさそうだ。信玄と義信の確執は今川家への対応問題だけではなく信玄が取り立てた2021/02/21
六点
17
武田氏を扱った創作物関連では、確実に悪役の男を一次史料を駆使し描いた、斯界の第一人者による評伝。武田氏の宗家を獲得するにも、その争いの火種は関東や周辺諸国の影響から逃れることはできず、さりとて局外中立しようにも家臣やら一門に張り巡らされた婚姻関係から、それも許されず、どうにか国内統一を遂げても、有力国衆との連合政権にしかならないという気苦労の耐えない人生である。やっとこ統一した所で、天変地異の責を負わされ国外追放と流浪の旅である。戦国大名とは何か?を考えさせられた。史料発掘を進め更なる「後考を待ちたい」!2020/05/07
MUNEKAZ
17
信玄の父・信虎の評伝。国人たちの跋扈する領国に周辺諸国の介入、そして相次ぐ自然災害と非常に困難な状況下で、甲斐の統一と新都・甲府の建設を成し遂げたその剛腕ぶりが凄まじい。そして有能がゆえに家臣や領民との軋轢も避けきれず、後年に「悪逆無道」という評も立ったのだろう。著者も指摘するが、前代からの負の遺産と災害で運命が暗転する「不運さ」は、孫の勝頼も思わせる。また甲斐追放後の動きや、信玄との直接の史料はないにしても伝わる疎遠な関係など興味深い部分が多い。武田ファンのみならず戦国ファンにとっても面白い一冊です。2019/12/06
YONDA
15
ぶ厚い本ではあるが、読み応えあり。信虎が甲斐を統一していなければ信玄の活躍も無かったと言える。甲斐統一のためには戦に明け暮れるしかなかった信虎。天災や飢饉に容赦なく襲われる甲斐の国。家臣を手打ちにしたことは確かにあったが、強権を持っていなければ国は治まらなかった。そんな中、情勢を読み解き無血クーデターを起こした晴信の才覚。その後の信虎が将軍家に仕え、義輝の御相伴衆となり、義昭の命に従い甲賀にて挙兵して信長に対抗。信虎伝記として非常に勉強になる一冊。2020/05/05
金監禾重
6
武田信玄の「攻め込まれない強い国」を作ったのは信虎であることがよくわかる。信虎までの武田家は、内部分裂を繰り返し、隣国に攻め込まれ、時には国内にいられなくなるほどの弱体勢力だった。信虎は若年で家督を継承し、天候不順による不作続きの逆境の中、伊勢宗瑞などとも戦いながら一代で国内をまとめ上げ、外征できる強国にのし上がった。現在に続く甲府を開いたのも信虎である。しかし不作の中での外征がかえって臣民を苦しめたとみられ、無血クーデターにより追放された。本書は追放後の動きも検討しており、甲陽軍鑑の記述が否定される。2024/05/21
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